山口森広(Vo)、Sion(Vo)、白川詢(Gt)、上江洌亮司(Dr)
みなさんの生活の中でも@Tension!!の音楽が溢れていくといいなと思う。
ツインボーカルの個性派バンド@Tension!!(アテンション)がオトナへの応援歌『大人フィロソフィー』のMVを公開。今回は俳優・監督でもあるボーカル山口森広、素性はヒ・ミ・ツのボーカルSion、理論派テクニシャンのギタリスト白川詢、作編曲も手がけるマルチクリエイターのドラマー上江洌亮司の4人に、バンド結成のきっかけから、今作の制作について、MV撮影の裏話、今後の展望などいろいろと話を訊いた。
■まずは@Tension!!さんのことを詳しくお聞きできればと思います。メンバーの自己紹介をお願いします。
山口 ボーカルを務めています山口森広です。下の名前はしげひろと読みます。役者もやっています。
上江洌 ドラムと@Tension!!の作詞・作曲を手掛けています、上江洌亮司といいます。
白川 ギタリストの白川詢です。よろしくお願いします。
Sion 素性は詳しくお話できませんが、ボーカルのSionです。
■それぞれ音楽を始めたきっかけは?
山口 僕は昔からお風呂場でよくオリジナルの曲を鼻歌で作曲していて。(笑) それで「なんだかんだでもう40曲くらい曲のストックがある」っていう話を、役者仲間と居酒屋で飲みながら話していたら、ギターを弾ける役者仲間の一人が「それは歌にしないともったいないよ」って言ってくれて。僕の名前の「しげき」と、その人の名前の「きづ」から取って「ジ・シゲキーズ」っていうバンドを組んだんです。そのバンドでは、お金がなくてバイト先まで自転車で行く歌とかそういう哀愁漂う曲を歌っていましたね。(笑)
上江洌 僕は小学6年生の時に「ファミコンが欲しい」って親にねだったら、「そんなのダメだ!」って言われてパソコンを買って渡されて……。そこから楽器のスキルもないのにパソコンで作曲をやり始めました。(笑)
■え!?最初からDTMを始めたんですか!すごいですね。(笑) その当時は何年くらいの話ですか?
上江洌 1984年くらいだったと思います。
■まだパソコンのモニターがブラウン管の頃ですよね。Windows’95とかも出る前ですもんね!
上江洌 そうですね。その頃は思春期だったし、周りにそんなことをやっている人なんていなかったから、ほとんど情報も入ってこなかったので……。一生懸命プログラムの本とか音楽理論の本を読んだりして、無理やり曲を作ったりしていました。(笑)
■そうなんですね。僕も昔バンドをやっていたので、その頃ってシーケンサーに数字で打ち込んでリズムを作ったりするんですよね。すごく細い液晶にコツコツと細かく数字や記号を打ち込んで。すごく懐かしいです。(笑)
上江洌 そうです!それです。それとプログラムを組み合わせたりして。それで高校生になった頃にちょうどバンドブームが来て、それからドラムを始めた感じでした。
■でもいきなりドラムをやるってハードルが高くなかったですか?だいたい「みんなでバンドをやろう」ってなっても、ドラムセットを持っている人も、ドラムをやりたがる人もいなくて、みんなギター志望ばかりでしたよね?(笑)
上江洌 僕は他に何も楽器が弾けなかったので、ドラムなら叩けば一応音は出るじゃないですか。(笑) ドラムセットはちょうど友達の家にあったので、そこで叩かせてもらっていました。
山口 その時もバンドの曲を作曲していたんですか?
上江洌 理屈っぽい感じの曲ばっかりDTMで作っていましたよ。(笑)
■その頃は録音するのもカセットテープのMTR(マルチトラックレコーダー)とかで、ボーカロイドもない時代ですから、歌入れとかのレコーディングも大変でしたよね。多重録音すればするほど音質が悪くなっていくっていう……。(笑)
上江洌 まさにそれですね。(笑) 詢くんとかは平成生まれの人だから、カセットテープとか見たことある?
白川 さすがに見たことはありますよ。(笑) あとはケースに入った小さなCDみたいなのも。
上江洌 それはMDだね。(笑)
山口 めっちゃ好きだったなぁMD。自分のお気に入りのベストアルバムとかを作ったりしてね。(笑) 懐かしい。
■MDは録音し直せるのも良かったですよね。
山口 同じバンドの中でも歳が離れていて、ジェネレーションギャップがあるのもこのバンドの面白いところだよね。(笑)
■ちなみにみなさんはおいくつなんですか?
山口 僕は40代です。
上江洌 重大発表ですけど、明日(3/27)が誕生日で51歳になります!
白川 僕とSionはまだ20代です。
■なるほど。白川さんが音楽を始めたきっかけは?
白川 僕は4歳くらいから親にピアノを習わされて、クラシックばかりやらされていて、小学校の1、2年生くらいで練習するのが嫌になっちゃって……それでピアノは辞めたんです。
上江洌 その頃はまだ日本にいたんだっけ?
白川 いや、その頃はもうルクセンブルクですね。
■小さい頃は海外にいらっしゃったんですね。
白川 2歳の時に親の転勤でルクセンブルクに移り住んだんです。それで小学3年生くらいの時に、ミドルクラス(中学生)の人たちが文化祭でGREEN DAYのコピーバンドを演っているのを見て、「カッコいい!」って衝撃を受けて、それからGREEN DAYがめっちゃ好きになってよく聴いていました。それで小学6年生の終わり頃に日本に戻ってきて、中学生になってから叔父が使わなくなったギターをもらって、それでギターを始めました。もちろんGREEN DAYとかSUM41とかのコピーから始めて、それからはギターにのめり込みましたね。
■Sionさんはいかがですか?
Sion 私は小さい頃から歌うことがすごく大好きで、小学生の頃から週2でカラオケに行くくらいでした。カラオケに行ったら行ったで、丸一日フリータイムで歌い倒すくらい歌が大好きな子供でした。なので、大人になってからも歌を歌っているのが当たり前みたいな感じですかね。(笑)
■そうだったんですね。ちなみにカラオケでは誰の曲を歌っていたんですか?
Sion 私はオタクなので、もっぱらアニメソングやゲームソングですね。最近だとボカロ曲なんかも好きでよく歌っています。Adoさんも好きでよく歌いますよ。
■なるほど。このバンドを結成した経緯を教えてください。
山口 僕は先ほども言いましたが、普段は俳優活動をしておりまして、役者がメインでやっているんですが、亮さん(上江洌)と短編映画の仕事で一緒になりまして、「歌う!女探偵」という作品だったのですが、この作品がミュージカルだったんです。そこで僕は探偵役だったんですけど、“尾行のブルース”とかを歌ったりするんですが、その作曲を担当していたのが亮さんで、レコーディングで歌った時にいろいろと話をしている中で、「バンドをやろうと思っているんだけど、一緒にやらない?」って誘われて。「やりたい、やりたい!」って二つ返事で答えたんですけど、こういう話ってだいたい社交辞令で「やるやる」って言いながら、なかなか実現しないんだろうなと思っていたんです。(笑) でも亮さんから半年後くらいに本当にオファーが来て。役者でもそれまで歌手の役とかで歌ったりもしてきましたけど、芝居だとどちらかと言うと、技術よりもハートがメインで歌うので、テクニックよりも心で歌う感じがいいと言ってくれて。
上江洌 ドラムってバンドのメンバーたちを後ろから見ているので、30%くらいはお客さんと同じような目線でバンドを見ているので、自分でこんなメンバーがいたら面白いなって人をスカウトして声をかけていったんです。
■山口さん以外のメンバーはどういった経緯でスカウトしたんですか?
上江洌 Sionさんは素性が秘密なのでなかなか詳しくはお話出来ないのですが……。(笑) 詢くんはSionさんからの紹介です。まぁこの仕事をしていると、年配から若い人までいろいろな人と関わるんですけど、その出会った中から「一緒にやったら面白そうだな」と思う人に声をかけて集めた感じです。きっとバンドって歳が近くてバックボーンも似たような人たちで組むことが多いと思うし、その方がまとまりやすいとは思うんですけど、今までそういうバンドはたくさん見てきたから、ちょっと他とは違った変わったバンドがやりたかったんです。(笑)
■ちなみにバンドの名前「@Tension!!」の由来は?
上江洌 @(アットマーク)が個人的に好きだったのと、フェスとかCDショップとかで50音順で並んだ時に一番前の方になるんじゃないかなと思って。(笑)
山口 「心のテンションをアゲたくて」とかじゃなかったんですね!(笑)
上江洌 じゃ、そういう意味合いもあることにしましょうか。(笑) 一応「アテンション」の「テンション」の部分は、本来の「attention」のスペルではなく、音楽用語の「tension」にして、造語みたいな形にしているんです。
■このバンドのコンセプトなどはどういったものなんでしょうか?
上江洌 僕らの曲を聴いたらホッとするような、ポジティブな感情になれるような歌を届けられるようなバンドでありたいと思っています。ただ、素直なだけではなく、ちょっとへそ曲がりなところもある、一筋縄じゃいかない感じも出せたらいいかな。
■ちなみにこのバンドがスタートしたのはいつ頃だったんですか?
上江洌 ちょうどコロナ禍になる直前、2020年元旦のスタートだったんです。
山口 バンド活動が始まってすぐに緊急事態宣言で会えなくなってしまって、こんなにもバンドメンバーに会えていないバンドも珍しいよね。(笑) 最初の1曲目の仕込みの時はまだ一緒に飲みに行けたりしていたけどね。
上江洌 それからはすぐにリモートでの作業になってしまいましたね。後でMVとか見てもらったらわかるんですけど、みんな別々にバラバラで撮影しているんですよ。
■新曲の“大人フィロソフィー”を聴かせていただきました。この曲は大人への応援歌との事ですが、どのような想いから制作されたのでしょうか?
上江洌 最近世間のみなさんはそういったコロナ禍も経て、多かれ少なかれ疲れている人が多いんじゃないかなと思っていて、そんな人たちを少しでも励ましたいなと思い制作しました。
山口 やっぱりみんなを元気づけたいという気持ちはありますよね。
上江洌 それもあるけど、自分たちに向けても「頑張ろう!」という気持ちも込めています。
■自分たちに言い聞かせているようなところもあるんですね。作詞・作曲された上江洌さん以外のメンバーのみなさんは、初めてこの曲を聴いた時の印象はいかがでしたか?
山口 一番最初に聴いた時は、「頑張ろう!」っていう曲なんですけど、ジワジワと込み上げてくるような、底から力強く湧き上がってくるような曲だなと思いました。歌詞にも「大器晩成」っていう言葉があったりして、僕も40歳過ぎて、まだまだ役者としてもっと活動していきたい意欲もありますし、バンドとしても、もっと歌える場所だったり、曲もいろいろ出していきたい気持ちもあるし、そういった蓄積した炎というか情熱を感じました。
■確かにはりきって「みんな頑張っていこう!」って、明るく盛り上げていく感じではないですよね。
山口 そういうフレッシュな感じではないんですけど、「這いつくばってでもやってやろう!」みたいな力強さを感じました。
白川 確かに静かなんですけど、「前向きに頑張るぞ!」というそんな気持ちが伝わってきましたね。
Sion 私はこの曲を初めて聴いた時は、「ハモリが多いな……」と思いました。(笑) 基本全編にわたってハモっていて、結構歌うのが大変でした。
■デモの段階からハモリは結構入っていたんですか?
上江洌 デモの段階からボカロを使ってハモリまで全部入れていましたね。
■デモがボカロだと歌いづらかったりはしなかったですか?
Sion 私は世代的にもそれは全然大丈夫です。(笑) むしろミクちゃんの声が大好きなので、めっちゃテンションあがりますし、「オッケー!こういう感じで歌えばいいのね」って感じでした。(笑)
■レコーディングの際のエピソードや、工夫した点、苦労した点なども教えてください。
山口 この曲はそれこそコロナ禍でのレコーディングだったから、亮さんの家でレコーディングしていたので、みんな個別でそれぞれ亮さんとしか会っていない感じでしたよね。
上江洌 今回の“大人フィロソフィー”は、ゲストボーカルを迎えてのレコーディングで、3人ボーカルがいたので、声の個性がそれぞれ特徴があって、ミックスの作業がすごく大変だったんですよ……。詢くんと僕が初めて歌ったパートも入れると、5ボーカルですね。
■歌った山口さんとSionさんはいかがでしたか?
山口 僕がレコーディングした時には、もうギターも入っていたし、Sionが仮歌で僕のパートまで歌ってくれていたので、バラバラでのレコーディングでしたけど、テンション感も含めて「ここでこうやって歌うのか」とか、「ここは少し溜めるのか」とか、そういうのがあったので、どうやって合わせていこうかっていうのは少し苦労しましたけど、でもメロディとかはわかりやすくて歌いやすかったんですけどね。
上江洌 めっちゃシャウトするハイトーンの箇所は苦戦してたよね。何テイクも撮り直しして。
山口 そうですね。あれは大変でしたね。あれライブじゃ出来ないんじゃないかなって。(笑)
Sion 私は割とスルッと歌えちゃったような気がします。(笑) テストで歌ってみたら「いいね!その感じで!」って言われて、本番もすぐに録り終わって、「お疲れ様ー!」って。一応私もレコーディング前には、「こんな感じで歌おう」というパターンをいくつか考えては行くんですけど、テストで歌ってみた感じが、求められていたのとピッタリとハマったみたいで、すごく嬉しかったです。