日本の人はもちろん、海外の若い人にも響くんじゃないかと
ポータブル・ロックが今年結成40周年を祝して、新曲2曲を含むベスト盤『PAST&FUTURE〜My Favorite Portable Rock』を完成させた。フロントウーマンの野宮真貴は後にピチカート・ファイヴでブレイクを果たしたものの、このユニットも80年代のニューウェーヴシーンを彩った伝説的なユニットと言っても過言ではない。今回は野宮真貴、鈴木智文、中原信雄のお三方に当時を振り返ってもらいながら、注目の新曲についても話を聞いた。
■今年は結成40周年を迎えますが、この数字に関してはどう受け止めていますか?
野宮 私はソロデビューが81年で、82年にポータブル・ロックを結成しました。活動自体は主に82年から90年まで、それ以降は10年おきに集まってはライブをしていましたね。でも、解散はしていなかったんです。私が90年にピチカート・ファイヴに加入したので、ポータブル・ロックの活動が休止状態だったんですね。それで、私のソロデビュー40周年のアルバム『New Beautifule』が4月に出まして、40年の音楽人生で関わってくれた方たちに、今の私に歌って欲しい新曲を書いてもらうというコンセプトで、ポータブル・ロックにも30年ぶりに新曲を書いてもらいました。結成40周年ということもあり、ポータブル・ロックのベスト盤も出して、そこに新曲を2曲を入れようということになったんです。
■なるほど。
鈴木 僕はポータブル・ロックが最初のメジャーデビューで、その後にバンドはあまりやらなくて。自分でプロデュースやアレンジの仕事はやっていましたけど、今回は初心に返ったような気持ちですね。今作の曲順も僕が考えたんですけど、時系列で最初から現在までを並べたら、物語として成立するんじゃないかと。
■活動休止していた時期も、どこか頭の片隅にポータブル・ロックの存在はありましたか?
鈴木 う〜ん、ない時もあったんですけど……。(笑)
野宮 ははははは。
鈴木 中ちゃん(中原)は、FILMS、ヤプーズとか、他にもやっていたけど、僕は他にバンドがなかったから。何かと言えば、「ポータブル・ロックの鈴木さん」と言われることが多くて。原点と言えば原点ですよね。
野宮 お互いに現役で音楽を続けてきたからこそ、こうして集まってもすぐにできるという。
中原 音楽を辞めちゃった人もたくさんいるしね。40年間の中で、仕事で一緒に音楽をやることもあったし、プライベートで一緒にご飯を食べることもあったから。そういうリレーションは続いていましたからね。
■「解散」と銘打たなかったのは何か理由でも?
野宮 あの頃はポータブル・ロックで活動しつつ、私はピチカート・ファイヴのコーラスの仕事をしていて。二代目ボーカルの田島くんがオリジナル・ラブに専念することになったので、小西さんから「メインヴォーカルになってくれないか?」と誘われて、私も新しいところでやってみたい気持ちもあって。そうしたら、2人(中原、鈴木)とも「うん、わかった」みたいな。ここで解散という話にはならなかったんですよね。「ちょっと行ってきます」みたいな。(笑)
中原 解散と謳う理由もなかったですからね。
鈴木 そういう緩さはありましたね。明確なリーダーがいて、「それはダメだよ、解散だ!
って言う人もいなかったから。戻って来られる場であり、遊び場みたいな気持ちでしたね。
■ポータブル・ロックの成り立ちとしては、野宮さんがソロデビューし、そのバックで演奏していた鈴木さん、中原さんを誘ったことがきっかけなんですか?
野宮 実は誘ったわけではなく……。
全員 ははははは。
野宮 ファーストコンサートでバックを務めてくれたのが二人で。デビューアルバムが思うように売れず、「さてどうしよう……」と思っていた時に近くにいてくれたので、「じゃあ一緒に音楽をやる?って。自然発生的なものですね。ムーンライダーズの鈴木慶一さんがすごく協力してくださって、ご自家の湾岸スタジオを使わせてくれて。そこで作ったデモテープを持ってレコード会社に売り込みました。最初のデモ(『ビギニングス+5』)が配信になっていますけど、当時は「音楽性をどうするかという話し合いもなかったんじゃないかな?(笑)
鈴木 ポスト・パンクというか、ガシャガシャうるさいパンクではなく、何か新しいものができないかなと思っていて。
野宮 バンド名も鈴木慶一さんが付けてくれました。バンド名の通り、ポータブルな新しい形のユニットですね。とにかく新しいことをやりたかったんです。
中原 バンドじゃないもんね。
鈴木 ライブのことも全然考えなかったからね。だから最初の頃はライブも大変だった……。
■この曲たちをどう再現すればいいかと?
鈴木 シンセを弾きながら歌ったりね?
野宮 私も弾いてたね。アイロン台をシンセのスタンド代わりにして。
■それはすごいですね。(笑)
中原 ギターを弾いていた時もあったよ。
野宮 そんな時もあったね!
■新しいことをやりたいという意志が強かったんですね。
野宮 はい。イギリスの若いバンドを参考にしてみたり。
中原 違うことをやらないとダメかなと。
■ポータブル・ロックに影響を与えたアーティストというと?
中原 NEW MUSIK(イギリスのシンセポップ・バンド)かなぁ。リーダーでボーカルのトニー・マンスフィールドが当時から他のアーティストのプロデューサーもやっていて、マリ・ウィルソン、NAKED EYESとかね。
野宮 カッコ良かったよね。新鮮でした。
中原 音色もあまりない感じだったからね。
鈴木 楽器もどんどん新しくなっていく時代だったから。それが変わることによって、また影響を受けたからね。今はそんなに楽器の進歩ってないですからね。
中原 あの頃は毎年新しい楽器が出て、「小さなサンプラーが出た!って。
■技術の進化と共に自分たちの楽曲アプローチも変化したと?
野宮 絶対そうですね。だから、新しい楽器を持っている人をメンバーに入れたりしてね。(笑)
■ボーカルスタイルにおいて影響を受けた人はいますか?
野宮 誰にも影響を受けていないと思うんですけど、強いて言えば、松田聖子さんとか。今作を久しぶりに聴いて、“裸のベイビー・フェイス”とか、すごく聖子さんっぽいなと。ノンビブラートで思い切り歌い上げることのない歌唱法というか。ニューウェーヴと同時に、当時の聖子さんや、ユーミンさんも聴いていました。
中原 当時はいい曲が多かったもんね。
野宮 細野晴臣さん、松本隆さんのはっぴいえんどと、呉田軽穂さんという。
■では、好んで聴いていた音楽というと?
野宮 ALTERD IMAGES、EIGHTH WONDERとか、紅一点のバンドに注目していました。おしゃれでしたし、私の中で音楽とおしゃれは同じぐらい大事なものですから。NEW MUSIKは2人から教えてもらって聴いてました。あとSTRAWBERRY SWITCHBLADEも好きでしたね。
■中原さんはいかがですか?
中原 若い頃はKING CRIMSONとか、その影響はあまりないかもしれないけど。(笑) あと、YMOとかですね。
野宮 ポータブル・ロックの前に2人がやっていたFILMS、8 1/2とか、東京ニューウェーヴシーンもすごく好きでした。ニューウェーヴはとにかく人と違うこと、個性的であることに命をかけていたから。音楽のテクニックよりも、センスがあれば成立するみたいなところがあったよね。今の若いミュージシャンはみんな上手だけど、そんなに面白い人はいないかも。
■ポータブル・ロックの曲作りで意識していたことはありますか?
鈴木 やっぱり、僕は松田聖子は感じていたから。
野宮 はははは、感じていたの?
■「松田聖子がニューウェーヴを歌ったら」みたいな?
鈴木 そうそう!(笑) メロディはユーミンぽいところはあったかもしれないけど。それで中ちゃんは僕と真逆で、全然違う曲を作る人なので。とにかく変わった曲を書くからね。
野宮 中ちゃんはいい曲を作るし。ピチカート・ファイヴの小西さんが、中ちゃんが作った“アイドル”という曲を初めて聴いた時、嫉妬したという話がありまして。ポータブル・ロックのライブを観て、ピチカート・ファイヴを作るきっかけにもなったとも言っていましたね。
鈴木 その頃、小西くんは僕の近くに住んでいたからね。大学の音楽サークルも同じだったし。機材を貸したり、レコードを借りに行ったり、ご近所付き合いもあったから。
野宮 実はポータブル・ロックとピチカート・ファイヴは繋がっていたという。
■この辺で今作の話に移りたいんですが、楽曲は年代順にバランス良く選ばれいますが、選曲の基準というと?
鈴木 代表的な曲を並べたつもりで……まぁ、一般的な認知は低いかもしれないけど。(笑) 例えば20年、30年の中でたまにライブをやると、「何をやる?という話になり、そこでいつもやっていた曲というか。自分たちの中では代表的な曲を選びつつ、タイアップ曲や、小西くんが歌詞を書いてくれた2曲は入れたいなとか。
■今作を通して聴くと、ポータブル・ロックの楽曲の振れ幅はとんでもないなと痛感しました。
野宮 2人が作る曲は個性的でそれぞれだから。
■メロディが立ったアイドルポップスもあれば、ニューウェーヴもあり、「なんじゃこりゃ!?みたいな楽曲もありますよね。
野宮 「なんじゃこりゃ!?」ってどれですか?
鈴木 「イーディ」とか?
中原 大体、僕の曲だよ。(笑)
■特に“憂ウツのHOLE ME”、“ダンス・ボランディア”、“イーディ”の3曲は「ぶっ壊れているな……」と、いい意味で。(笑)
野宮 やっぱり中ちゃんの曲だ!(笑)
■今聴いても古臭くないし、むしろ最先端ぐらいの新しさを感じます。
野宮 そうでしょ?(笑) 『ビギニングス+5』というデモ音源集を聴いて、私たちを発見してくれて影響を受けたという、イギリスのケロ・ケロ・ボニトというバンドもいたりして。40年近く前の曲だけど、ニューウェーヴ好きな若者は世界中にいるし。今作が出て、どんな反応があるのか楽しみですね。
■ストリーミングの普及もあり、今は時代性にとらわれずに音楽を楽しむ世代が増えていますからね。
野宮 そうですよね。今は新しい曲も昔の曲も並列だし、その人にとって新鮮なものを聴くわけですからね。日本の人はもちろん、海外の若い人にも響くんじゃないかと。そういう期待感はありますね。