AARON VANITYMIX WEB LIMITED INTERVIEW

空手に費やした幼少期からメジャーデビューまでの道のりを振り返る。

AARONがメジャーデビューシングル『ユニーク』をリリース。幼少期から空手に邁進し、負傷によって選手生命が閉ざされた後、音楽の道へ進みはじめたAARON。音楽活動を始めると瞬く間に話題となり、“ユニーク”はメジャーデビューシングルにして、テレビドラマ「それってパクリじゃないですか?」の主題歌となるなど、今注目のアーティストだ。
今回はそんなAARONに、音楽活動を始めるまでの経緯や“ユニーク”の制作について、たっぷりと話を訊いた。

■AARONさんは音楽を始める前に、空手で全国大会に出場するなどの実績をあげていたんですよね?それから音楽の道に進み始めるまでの経緯を教えてください。

AARON 5歳から20歳までの15年間、オリンピックで金メダルを取るつもりで空手を頑張っていたんです。中学までは福岡の北九州にいたんですけど、高校は関西の強豪校に行ったりと、本当に空手一筋で。でも20歳の時に前十字靭帯を怪我しちゃって、選手生命が絶たれてしまって……。本当に途方に暮れて、その頃ちょうど世間ではラップバトルが流行っていたので、「自分もやってみたい」と思ってラップを始めました。そこで「有名なラッパーになりたい」と思ったのが音楽への入口でした。

■ラップバトルが入口だったんですね。

AARON そうなんです。その後、僕が22歳くらいの時に小さなラップバトルの大会に出たんです。参加者が8人くらいしかいない町の小さな大会だったんですけど、その1回戦で中学2年生の子と当たったんです。僕のその時の髪型はセンター分けでパーマをかけていたんですけど、相手の子はドレッドヘアで、見た目からして向こうの方がイケてるんですよ。(笑) 先攻だった相手に「焼きそばみたいな頭して出てくんな」みたいなことを言われて、それに言い返せなくて。(笑) 「黙れー!」しか言えなくてボロ負けしたんです……。それがめっちゃ悔しかったんですけど、そこで空手をずっとやってきた僕としては、人の悪いところを見つけてけなしあったり、ディスったりするのが苦手なんだと気付いたんですよね。それからはラップではなく、歌で伝えていきたいと思って、今の歌の道を進み始めました。

■空手では世界のトップを目指していらっしゃったとのことですが、もともと空手を始められたのは親御さんの影響などだったんですか?

AARON 親が空手をやっていたとかではなかったです。むしろ家族は野球が好きで、僕を強いリトルリーグに入れようと思っていたみたいなんですけど、強いチームって小学4年生くらいからしか入れてくれないんですよ。なので、その間に他の何かを習おうかということで空手を習うことにしたんです。その後、辞める予定だった年に全国大会に初めて出たんですけど、決勝戦の残り1秒くらいで僕が転んで外に出てしまって、それで反則負けになっちゃって……。それがすごく悔しかったんです。そこから家族にも熱が入って、おじいちゃんが道場まで作ってくれたんですよ。その翌々月におじいちゃんは亡くなっちゃったんですけど、道場を残してくれたので、そこから空手に力を入れるようになりました。

■その後、選手生命が絶たれてから音楽の道に進むまでには空白期間もあったと思いますが、ラップを始める転機となった出来事はなにかあったんですか?

AARON 当時は本当に自分には空手しかなかったので、もう「人生終わった……」くらいに思っていたんです。まだ19、20歳だったし、今思うと全然そんなことないんですけどね。でもそれまで空手でちやほやされていたので、自分の中で「誰かに認めてもらいたい」という気持ちがまだあったんだと思います。どこかで諦めきれない気持ちがあって、悔しくてラップを始めたんだと思います。

■当時ラップを始めた際に、影響を受けたラッパーなどはいますか?

AARON SHINGO★西成さんという大阪のラッパーの方がいるんですけど、その方との出会いが大きかったですね。「音楽やりたいんですよね」って言ったら、「なんでやりたいのにしないの?俺なんか26歳、27歳でサラリーマンを辞めてラップ始めたんだよ」みたいに言ってくださって。その言葉を聞いて、「なんで自分はやっていないんだろう?」と思って、実際に音楽を始めたので、かなり影響は大きかったと思います。今でも大阪に行った時には挨拶に行ったり、すごくお世話になっている人です。

■その人が音楽を始める直接のきっかけになった方なんですね。

AARON 本当にそうですね。SHINGO★西成さんの曲に“ここから…いまから”という曲があるんですけど、僕が初めて歌詞を書いた歌に「ここからいまから」というフレーズを入れたりもしました。

■そして音楽活動を始めるとすぐに路上ライブを行うようになりましたが、路上ライブを始めたきっかけはどんなものだったんですか?

AARON 去年の5月に上京してきたんですけど、そのタイミングで路上ライブを始めたんです。やっぱりコロナ禍の期間は人前で歌う機会が全然なかったので、東京に来たタイミングで何か始めようと思ったのと、ステップアップできるかなと思って。

■路上ライブはTikTokなどSNSを通して話題になりましたが、その反響をどう受け止めていますか?

AARON 半年間で36回路上ライブをしたんですけど、最初の1回目はお客さんが10人とかだったのが、最後の方には1000人以上来てくれて、すごく嬉しかったです。ファンのみなさんや、関係者のみなさんが全部バックアップしてくれたおかげですね。歌うだけという言い方はおかしいですけど、僕はいい歌を歌うだけというか。それを広めてくださったりしたのはファンの方々ですし、本当に感謝しています。

■そして今回、“ユニーク”でメジャーデビューを果たしました。メジャーデビューをした今はどんなお気持ちですか?

AARON メジャーデビューしたからといって、僕自身がなにか変わるということはあまりなくて。でも僕だけのAARONではなく、みんなのAARONだとか、みんなでAARONのレベルを上げていくみたいな感覚にはなりました。本名の自分というよりも、「AARONだったらどうするか」といったことを俯瞰で見られるようになったというか。それにオンとオフを分けられるので、そこはよかったなと思います。あとはこれからどんなところに行っても絶対天に狗にならないようにしようと思っています。空手の時も、全国大会で優勝して天狗になった時があって……。どこに行っても低姿勢でいたいなと思っています。

■空手で既に成長も挫折も体験していることはAARONさんの強みでもありますね。

AARON そうですね。空手で努力をして日本一の結果を掴むという過程が経験できたのが良かったのかなと思います。僕はSNSでバズったことがデビューに繋がったんですけど、SNSの毎日投稿って難しいと言われているんです。それは僕もやっていてすごく分かるんですけど、空手をやっていた時は1日6時間、7時間の練習をして、それでも日本一を取れないくらいだったので、毎日努力することは当たり前だと自分の中で思えるようになっているんですよね。きっとそう思えるのは空手のおかげですし、空手をやっていて本当によかったなと思いました。あとは空手をやっていて、挫折している時にも楽しめるようになったことも大きかったと思います。苦しい時こそそれがめっちゃ大事なんですよね。気持ちが落ちた時って、めっちゃ悩んでめっちゃ頑張るんです。諦めたりしないで悩んで頑張っていると、どんどん上がっていくタイミングがある。それを空手で経験できて本当によかったです。この間のライブの時も自分自身が納得するライブができなくて、すごく悔しかったんですけど、「でもこれがあるから成長するよね」みたいなことを思えました。でもやっぱりすごい人はもっと頑張っているし、しかも頑張っているだけでは掴めない世界なので、もっともっと頑張らないとなと思います。