ALI PROJECT VANITYMIX WEB LIMITED INTERVIEW

アリプロは2人の違いがあるから面白い。

ALI PROJECTが14ヵ月ぶりとなるニューアルバム『天気晴朗ナレドモ波高シ』を完成させた。日本海海戦の際に秋山真之が書いた、今もなお名文として語り継がれる電文の一部をタイトルに据えた今作。爽やかなジャケット写真や、メンバー曰く「今までのアリプロらしくない」曲が多く揃ったこともあり、どこか爽快な明るさを感じる作品となった。
今回は、作詞とボーカルを務める宝野アリカと作曲を担当する片倉三起也にインタビュー。今作の制作についてたっぷりと話を訊いた。

■今作のタイトル『天気晴朗ナレドモ波高シ』ですが、どんな流れで決まったテーマだったんですか?

片倉 去年の7月くらいに、「次のアルバムはどうしようか?」という話になって。その時はミニアルバムにしようかと思ったんですよね。テーマは彼女の意向で「妖怪」にしようと。それで1曲くらい作ったんですけど、ミニアルバムって7曲くらいでしょ。あと3曲書けば10曲になるので、そうなったらフルアルバムでしょ。なんかいじらしい感じがするじゃないですか。(笑) 曲が書けないから7曲や6曲にするなんて変だなと思って、気合入れて10曲作ろうという感じでした。

宝野 最初は「妖怪」というテーマだったので、目黒雅叙園まで見に行ったりしていたんです。それが夏頃で。でも「妖怪」で10曲書くっていうのも……。世の中には妖怪博士みたいな人がいっぱいいるわけじゃないですか。そういう人たちがいるのに、「そんなに曲を書いていいのかな……」みたいに思ってきちゃって。片倉さんの方も、おどろおどろしい曲ばっかり作らないだろうなと思ったんですよね。

片倉 どっちかというと作りたくない。(笑) それで少し考え直したんですよ。今ってやっぱり嫌な世の中だったり、悲しい世の中だったりするじゃないですか。コロナがあったり、1年前には戦争が始まっちゃったり。アリプロは大和ソングとか、平和を希求するような音楽とかも歌ってきていて、つらいことや悲しいこと、いろんな問題や定義を自分たちに課したり、見たりしてきているから、そういうことを含めて、もう少し前向きにしていけるような音楽を作ったらいいんじゃないかと思って。それでこの『天気晴朗ナレドモ波高シ』っていう、秋山真之さんの有名な一節からタイトルを取りました。いいでしょう?

■すごく素敵です。

宝野 このタイトルは片倉さんが決めたんですけど、最初はこのタイトルがひらがなで送られてきて、「なに……?天気予報?」って。(笑) でもこういう長いタイトルもありかなって思ったんです。人生はお天気だけど、荒波の中をもまれていくみたいなのがカッコいいなと思っていたんですけど、後から聞いたら有名な言葉だったということで、司馬遼太郎を読んでみたりもして。黒アリバージョンのような違うタイトルも候補にはあったんですけど、今だったらこっちでいいかなと思って、このタイトルに決めました。「雅叙園まで行ったのに……」って思ったけど。(笑)

■曲はアルバムタイトルを決めた段階で出揃っていたんですか?

宝野 まだ全然。でも“絶途、新世界へ”は最初に妖怪系の時に書いていた曲で。「ゾンビが行進するみたいな曲があったらいいな」って作った曲なんです。だからゾンビの名残があるんですけどね。(笑)

■“絶途、新世界へ”は壮大な印象があったので、タイトルにかけて今から海に出るというテーマで作られた曲かと思いました。

宝野 一応ゾンビとは言っているけど、「1回世界が終わったのを乗り越えて新しい世界へ向かっていこう」みたいな歌詞なので、それで合っていますよ。

■サウンド面ではアルバムの中盤、“NON-HUMAN”や“STILL ALIVE”で印象が変わっていくのが面白いなと感じました。

片倉 その2曲はギターサウンドですけど、あえてそういうものを作ろうという概念が最初からあったんです。アリプロって今まではオーケストラの曲とか、ストリングスをフィーチャーした曲が多かったので、今回はあまりそれをやりたくなかったというか、バイオリンに飽きたなって。(笑) というよりも、ギターがすごいなっていう印象があって、アリプロのバイオリンの子たちも3歳か4歳くらいからバイオリンを始めて、英才教育を受けて芸大に行ったり、海外の大学に行ったりして、本当にすごく勉強しているんだけど、ギターって中学生とか高校生くらいから始めて3、4年やってプロになる人もいるじゃない?それはやっぱり楽器の性質とか、持っている世界観とかが関係していると思うんですけど、ギターって「ギャン」って弾けば、「ギャン」って鳴るじゃないですか。僕も昔はギターをやっていましたけど、昔に戻ってみたいなと思って。ギターを使った曲じゃなくても、構想をギターから始めるのは結構面白かったですね。“NON-HUMAN”と“STILL ALIVE”はそういう意識を強くして作りました。

■特に“STILL ALIVE”は、バンドサウンドと宝野さんの声の美しさの組み合わせがすごく素敵だなと感じました。

宝野 これ、最初は「どうやって歌えばいいんだろう?」って思ったんですよ。アリプロにはあまりこういう曲はないじゃないですか。「HYDEさんみたいに歌えばいいのかな……?」とか。(笑) もしくは「MORRIEみたいに歌えばいいのかな?」と思って、MORRIEのCDをいっぱい聴いたりもしました。どうやって歌っていいかわからなくて、何回もいろいろと試しました。

片倉 昔、MORRIEの曲を彼女が歌ったこともあったんですよ。ギターがSUGIZOさんでベースがTOKIEちゃんで。DEAD ENDのトリビュートアルバムだったんですけど、あの時の歌が結構よかったから、今回もそれで歌ってって。(笑)

宝野 何度か歌いましたけど、結構難しかったですよ。

片倉 難しいって言っても、レコーディングの時も3回くらいしか録ってないですけどね。セッティングして、2時間もあれば終わっていましたよ。“NON-HUMAN”とかもそうですけど。

宝野 “NON-HUMAN”は歌詞が変わっているから、感情移入しやすくて歌いやすかったです。(笑) “NON-HUMAN”はアリプロにしては普通の洋楽っぽい感じだから、「これをアリプロでやるんだ」みたいに思いました。でもまだ妖怪のことが頭に残っていたので、「人間になりたいと思った妖怪の男の子が人間になったんだけど、人間世界の方が怖くて妖怪に戻りたがる」みたいな歌詞にしようと思っていたんです。でもそれを書くにはちょっと展開が少なくて。なので、反対に人間でいたくない女の子の歌にしようと思って書きました。結果いつも私が思っていることですね。(笑)

■“万花繚乱姥桜”もロックチューンですよね。

片倉 若い曲でしょ?

宝野 声も若いですよね。聴くと「うわぁ、早い!」って思う。

片倉 でもこのテンポは、最近のアニメでも結構多いんだよね。172~180ちょっとくらいかな。この曲は175、6だと思うんですけど。

宝野 アリプロでも早い方?

片倉 早いですね。すごく若々しい曲ですよ。

宝野 「若くいましょう」っていう歌だから、これでいいんですよ!

片倉 これは日本のロックなんですよ。向こうのロックはこんなにコードがぐちゃぐちゃしていないから。(笑) 

■“80秒間世界一周”のタイトルは、どういったところから付けられたんですか?

宝野 「八十日間世界一周」ってあるでしょ、ジュール・ヴェルヌの。これは歌の中でも世界一周しているんだけど、「気がついたら夢だった……」っていう夢オチなわけです。夢って、数秒の間に見るって言うじゃない?すごい冒険している夢でも、現実の世界では何秒でしかないみたいな。だから80秒に置き換えました。だから曲を聴いて、最後の「蒲団の奈落……」で意味も分かるかなと。

■面白いです。そのアイデアは曲を聴いて浮かんだものなんですか?

宝野 最初聴いた時は、壮大な曲だしでも間奏が変拍子のおかしな曲だから、コミカルな部分も醸し出せるようにしたいなと思ったんです。そうやって書いているうちに、今回は『天気晴朗ナレドモ波高シ』だから、船に乗っているのもいいなと思って、海賊船に乗って、気球に乗って、列車に乗って、ってやっているうちにいろんな動物も出てきて。最初はカモメとか鷲なのに、段々と人魚とかドラゴンが出てきて、おかしいじゃないですか。(笑) だから「夢の中だったんです」っていう、楽しい曲なんです。

片倉 サウンドはアナログシンセを4声くらいに分けているんです。これが弦だったらバイオリン2人、ビオラ、チェロですよね。それをアナログシンセに振り分けて。やっぱり弦じゃ面白くないなと思って。(笑)

■先ほどギターの特性のお話もありましたが、アナログシンセの特性はどう考えていますか?

片倉 この曲で使ってる音のシンセって、Oberheimに近い音なんですけど、ひとつは僕の郷愁ですね。あとはシンセって直観的なんですよ。自分のイメージをダイレクトにつけることができる。弦とかだとインパクトが弱いんです。

宝野 懐かしい感じもするものね、この曲。

片倉 昔の楽器だからね。もちろんソフトシンセで作ったけど。

■“密林ヨリ応答セヨ”はどんな風に作られた曲なんですか?

宝野 これは一番最後にできた曲かも。黒アリみたいな曲があんまりなかったので、ちょっと暗い感じがいいなって言って、出来た曲です。

片倉 10曲目にもなってくるといつものことで、だんだんと書くものがなくなってくるんですよ。(笑) そういう時って自分の曲をフィードバックするのが一番よくて。昔の曲に“密猟区”という曲があるんですけど、あらためてそういうのを作りたいなっていうのがイメージとしてあったんです。あと『天気晴朗ナレドモ波高シ』という言葉も戦争が背景にありますけど、小野田寛郎さんとか横井庄一さんが終戦後にグアムやフィリピンの密林で見つかったじゃないですか。終戦から何十年も経ってから。そういう隠れていた人がある日密林から出てくるみたいな、そういうイメージなんです。

宝野 そんな話を聞いちゃったから、歌詞を書くにあたって「横井庄一さんの歌詞だったらもっとちゃんと書かないと」って思うじゃないですか。だからその話から密林だけ取って、密林の歌詞にしようと思って書きました。

片倉 何年も1人きりで生きてきたわけじゃないですか。その人がいきなり密林から出てくる……。「どういう気持ちなのかな?」って。

宝野 それはちょっとすぐには想像できないわよね。

■壮大ですね……。でもサビのメロディーは明るくて。

宝野 だから暗いだけの歌詞にはならなかったですね。

■次の“瓦礫ノ子守歌”ですが、「子守歌」と「瓦礫」の組み合わせというのも斬新だなと。

宝野 最初のメロディが「子守歌みたいなメロディだな」と思ったんですよ。やっぱりこのメロディがきたら、どうしても「眠れ眠れ……」って歌いたくなっちゃうじゃないですか。(笑) でもこのアルバムで子守歌となると、普通の子守歌じゃないなと思って。昔、“戦争と平和”という曲の歌詞を書いた時はただ平和を求めるだけだったんですが、今回はそれとはちょっと違うなと思って。なので、この曲ではただ平和を望むのではなく、取り返せという気持ちを込めてみました。「自分の手が汚れても、元あったものを取り返して欲しい」と、お母さんが言っているような歌詞です。

■“戦争と平和”の歌詞を書かれた頃とは世の中の情勢が変わったからこそ、書く歌詞も変わったという部分もあるんですか?

宝野 元々私はそういうタイプだからかもしれないですね。「目には目を」っていう。だから“戦争と平和”って、今聴くとすごくありきたりだなって思います。

■片倉さんは宝野さんから子守歌というテーマの歌詞が来た際、どう感じましたか?

片倉 だってメロディがそのまま子守歌じゃないですか。(笑)

宝野 え、そのつもりだったの?(笑)

片倉 いや、後から思ったけど。これは弦楽器から始まっていって、だんだんと壮大になっていく曲ですけど、メロディは非常にシンプルで、「普段はこんな簡単な曲は書かないのに」と思いますけどね。

宝野 でもこの歌、難しかったですよ。

片倉 そう、逆に難しいんですよ、こういうシンプルな曲は。

宝野 裏声と地声の境目のところが突然来ると歌いづらいんですよね。上がっていくメロディだと地声のままどこまでも歌えたりするんですけど、いきなり高い音を地声で出すのって難しくて。子守歌だからもっとお母さんっぽく歌いたかったんだけど、歌ってみたら声がちょっと子供っぽいなと思って。「お姉さんが小さな赤ちゃんの弟に歌っているみたいな感じかな」と、自分の中で思ったりしています。

片倉 あと半音低くしてもよかったかもね。