アルカラ VANITYMIX WEB LIMITED INTERVIEW

稲村太佑(Vo&Gt)、下上貴弘(Ba)、疋田武史(Dr)

自分たちがアルカラとして音を出せばなんでも唯一無二。この味を出せるのはうちでしかない。

アルカラが11枚目のアルバム『キミボク』をリリース。結成20周年を記念したアルバムである今作には、ボーカル・稲村のソロ作品 “秘密”、“boys&girls”のバンドアレンジや、“tonight”、“ゼロの雨に撃たれて”など、これまでのアルカラのアルバムとは色の異なる、大人びた印象のある作品が多く収録されている。今回は20周年を迎えたアルカラの3人に、20年を経て思うことやそれぞれの変化、二皮むけて物差しを捨てた現在のアルカラについて、3人にたっぷりと語ってもらった。

■今作は結成20周年記念アルバムとのことですが、まず20周年を迎えた今の気持ちはどんなものですか?

稲村 20年だからと言って「よっしゃきたな」って思う気持ちは全くなくて。やっていたら20年経ったっていうのがやっている側の本音なんです。でも今回いろいろと取材していただいて、「10年前に稲村さんこういうこと言っていましたよ」って言われたのが、北島三郎さんの言葉で「10年経つと一皮むけて、20年経つと二皮むけて、30年経つと自然体になる」っていう。それを聞いていると、本当に20年やってきて、「二皮むけてここからどうしていくべきか」っていう、ようやくそのスタートにいる気はしています。

下上 まぁ僕も実感はあんまりないですね。一緒にやっていたら気づいたら20年だったみたいな。

稲村 何歳までにどうなろうとか、そんなんなんもなかったもんな。本当に目の前のことを一歩一歩やるしかなかったバンドなので。それが功を奏して、前が崖になっていても気付かずに歩けるというところがあって。「もうこの先崖やから辞めとこうぜ」って思っちゃうところも、行ってみたらその崖は居心地が良かったりみたいな。その代わりいつまでにどうしようっていう計画性があるかっていうとあんまりないので、20年という節目もあんまり感じていないというか。「20年だなぁ」っていうぐらいです。

■15周年からのこの5年ほどで、特に印象的だった出来事などはありますか?

稲村 年齢とともにもっと視野が狭まったりするかなと思ったんですけど、特にこの5年でいろんな新しい楽器に挑戦したり、スキルを得たり、いろんな景色が見られるようになってきたなっていうのはあります。コロナ禍になってから、自分らの機材だけで配信ライブができるようにしたり、ライブハウスの力を借りて、カメラを回してもらいながらフットワーク軽く配信ライブをやったり。僕らサイズのバンドってそういうことはあんまりしてこなかったと思うんです。それだけ費用もかかるし、面倒くさいし、上手くいくかわからんし、不安要素を見たら人って動けなくなるので。でもアホやったおかげで見えへんかったというか、苦境をもらえることでそれを楽しむっていう言い方をすると語弊があるんですけど、立ち向かっていたというか。できることを探すみたいな感じでしたね。結成の頃からの5年、10年より、ここ5年の方が一番音楽と向き合ってきたんじゃないかなとは思います。

■コロナ禍以降のこの2、3年に限って言うと、それのせいですごく落ち込んだというよりは、探究心を広げられたというか?

稲村 僕自身はそうですね。メンバーみんなも同じ具合かはわからないですけど、付き合ってもらいながら。スマホでどうやったら2カメ3カメできるのかとかって、バンドで体験するべき内容かはわからないですけど、やってみてよかったなとは思います。例えばライブハウスで配信をやらせてもらう時に、カメラを持ってもらっていることに対して当たり前になってしまったらよくないと思うので。そういうところを知れるっていうことはミュージシャンとして、ステージマンとしてラッキーやなって思って。全然稚拙なもんですし、プロとしてやられている方と比べたらまったくですけど。でも芸術を表現することって、こうじゃないといけないっていう基準ってあんまりなくなっていて。YouTubeもSNSもすごく雑多でパーソナルやなと思うんですよ。でもそれが人の心を動かしたり、10秒ぐらいの内容でみんなで笑い合えたりしてるっていうのは、いい時代でもあるなって僕は思っているんですよね。なので、カメラを1個回すことにしても、知っているのと知らないのでは違うなって。そういうのはすごいありがたかったかなって思います。

■お2人はここ5年くらいの印象深いことや変化など、なにかありますか?

疋田 やっぱり配信でいろいろやらせていただいた後に、制限があって少ないながらでもお客さんのいる場でまたライブをやらせてもらった時は、面と向かって関係を作りながらやるライブって素晴らしいなと改めて感じました。配信が駄目とかではないんですけど、当たり前のように年間何十本とライブをやってきたのが全くなくなって、もう1回やらせてもらった時にそれを再確認できたっていうのは大きかったかもしれないです。

下上 僕はバンドの内面的なとこかもしれないんですけど、最近スタジオに多めに入ったりするようになった時に、20年間やっていてまだこんなしょうもないことやっているんだなって思って。「曲のこの部分どうなん?」みたいなのを1時間ぐらいやって、結局元の方が良かったみたいなのを未だにやっているのって、本当に非効率の極みで。でもそれを経たからこそ曲がブラッシュアップされていっていることを考えると、バンドの原点はスタジオにあって、今もそんなんやってんねんなっていう。それが結成当初には考えてなかったような気がします。もっと効率的になっているだろうと思っていたので。20年経っても変わらないなにかがあったりするんだなって思いました。

稲村 うん。効率よくできることなんてないし、人を感動させることってやっぱり人でないといけないというか。どんだけ効率良いAIが作った最高な絵を見ても、「すごいな」とは思うかもしれないですけど、自分の息子や娘が描いた稚拙な絵の方が多分価値もあるし、そういうところに音楽の原点ってあるんだろうなって思うんですよ。だから最近は自分たちがアルカラとして音を出せば、なんでも唯一無二だなって思っていて。この味を出せるのはうちでしかないんで真似もできへんし、それ以上も以下もないみたいな。赤より赤はないみたいな感じですね。そういうもんなんで、スタジオに入って「最初の水の量を2ミリぐらい多くせえへん?」みたいなのを言っているその営み自体、バンドやなと思うし、そういうのが繋がって曲になったりライブになっているなっていうのは思うんですよね。あと、15年目ぐらいまでは自分の力不足を他のせいにしてたところもあったんですけど、力不足でいいんやなっていうのも最近思ってきたりして。逆にそう思ってきたら自分が磨くべきところが見つかってきたり、それを導いてくれる機会がいっぱいあって。自分の弱いところも認めて強いところも尊重して、伸ばしていけるところは伸ばしていくっていうことかなって思います。

■そういった考えの変化が起きたきっかけとなる出来事があったりしたんですか?

稲村 きっかけは特にないんですけど、自分であればいいなって思ってきたんですよね。自分が「こういう曲を書かなあかん」とか思いながら書いてる時点で、もうレトルトなものを出している店と一緒やなと思うんで。20年もやっていて今更ファストフードみたいなのは出せないので、どんだけ見た目が悪くても自分の味のものを出していかないといけないと思う。もちろんレトルトもファストフードも嫌いじゃないですけどね。(笑) 自分らの店はそうじゃあかんなっていうことを思ったりしています。

■そういった稲村さんの考え方の変化に対し、下上さんと疋田さんはいかがですか?

下上 似たような感覚はあって。今年20周年やなと思いながら年始からいろんなライブをやった時に、今まで出会ってこなかったバンドと出会って。自分ではそんなつもりはなかったんですけど、なんか心を閉じていたというか、「こういうはずだ」みたいなことを考えていたんだっていうことに今でも出会えたりするんですよね。今まで何とも思っていなかったのがすごい良いと思ったり。同年代から年下のバンドと対バンをたくさんやったんですけど、すごく教えてもらうことがあったというか、自分が受け取れるようになったというか。今まで以上にいろんなアーティストから刺激を受けられるようになった気がします。

疋田 そうですね。目新しいことをやっているわけじゃないんですけど、同じことの繰り返しじゃなくて、スタジオにいっぱい入ってみたりとか20年経っても初めましての人と対バンやったりとか、内に内にっていうよりはどんどんさらに外に外にっていう感じにはなってきたのかなと思いますね。

■各々が各々で変化を感じているんですね。

稲村 まあそうじゃないと続けられへんし。やっぱりバンドって高め合えるからこそなので。ライブが減ったりしたおかげで、考える機会ができたり話をする機会も増えて、PAも照明も乗り込みじゃなく、ライブハウスのスタッフだけでライブをしようっていう話も下上から出たりしたんですよ。そういうところで疋田が言う、新しい発見とか出会いを受け入れる準備ができたのかなと思います。同じ繰り返しでやってると、新しいものが来たときにハマるハマらないっていう物差しになるけど、もうそういう物差しは捨てたんで。結局変えられない自分って絶対にいるので、他の部分をさらに守ることって違うなと思うし。3人とも20年経って新しく感じることがあるのであれば、守ってるっていうよりは攻めてるというか、まだここから伸びていこうとするエネルギーみたいなものがあるんじゃないかなと思いますね。

■そういった物差しを捨てる思考やここ数年での変化は、今作の制作に反映されていると感じますか?

稲村 もう自分のものなんで、どうこれを反映しようとしたかはわからないし、反映されていると思っていただけるのであればそうだと思います。これがカッコいいと思っているかどうかもわからないし、もっとこうすべき、ああすべき、他の曲はこうみたいなたくさんの物差しがあるんですけど、それを見れば見るほど答えなんてなくなるから。もうこれだって決めていく方がなんかカッコいいなっていう感じでしたね。だからそれが伝わっていただいているんやったらすごく自信作です。

■今作を作るにあたって、こういうものにしようというイメージは最初からあったんですか?

稲村 音楽的とかリリック的には特にないですね。もう10枚もアルバムを作ってきて、ミニアルバムとかも入れたら自分の中では結構書いてきたと思っているんですけど、ネタが尽きずにまた生み出せるっていうことは、何かしらのメッセージとかいただいたものがあって、それをお返ししているだけとしか僕は思っていなくて。例えば誰かのライブに行って、MCで言っていたことから「そういうこと歌ってみたいな」っていう着想をいただいたりとか。そういうのは変わらないですね。でも下上が今までの録り方は辞めようっていう話をしてくれたので、録り方を変えたんですよ。いつもはクリックに合わせて演奏するんですけど、それも辞めてしまおうぜって言って。2枚目のアルバムでもそんなことをしたんですけど。当時は下手くそやったけど、そこには越えられない良さがあるっていうか。下手って再現できないので。もちろんそこを目指すってわけじゃないですけど、とにかく機械のリズムを中心にして、それに合ってるズレてるっていう考え方でレコーディングしていたのを1回壊してしまおうと。僕も1日でもレコーディングの日にちを減らすとか、効率よく効率よくっていうのが当たり前になっていたなと思って。でもクリックをなくすとどうなるかわからんみたいなヒヤヒヤだったり、どきどきが音に乗るんですよね。1曲の“tonight”とかもずっとライブで温めてきた曲なので、結構自信あるなと思って行ったら、何回も「ちょっと遅いんちゃう?」みたいな話になって。

下上 基準がないから「ちょっと遅い」って言っても、ただの気分でしかないんだけど。

稲村 全員で一緒にやって、ドラムだけがOKだったらもう1回ダビングしてみたいな感じで録っていったんですけど、基準がないので疋田が「できた!」みたいな顔をして意気揚々と出てきたけど、聴きながら「これちょっと早ない?」みたいな。「歌がついていってる感じになってんけど」みたいな。あとは「もっとでかく叩け」とか、初めましてのパンクバンドみたいなことばっかりで。(笑) 音楽的な話はまったくしていないですね。