「この歌声で誰か一人でも救われるのなら」。それが、僕らがプロとして歌っている理由。
DEEPが、6年ぶりとなるEP『何度でも』をリリース。リード曲の“何度でも”には、今のメンバーで歌い続ける思いが刻まれている。カップリングには、恋愛ドラマシリーズ「BLドラマの主演になりました」の主題歌“Darlinʻ”、YouTubeチャンネル「With Ensemble」でも話題を集めた“Darlinʻ (With ensemble)”、“君じゃない誰かなんて~Tejina~ (With ensemble)”を収録。さらに通常版には、カバー曲“雪の華”も収録される。同作品の魅力を、TAKA、YUICHIRO、KEISEIの3人が熱く語ってくれた。
■“何度でも”の歌詞の一節に、「明日が不安で今を生きてる」と記していましたが、この気持ちは、長く活動を続けているからこそ出てくる想いだなと感じました。
TAKA DEEPとしての活動も今年で18年目。若い頃はがむしゃらに走り続けていましたが、それで良かった時代でもあったと思うんです。だけど今はいろいろなことを学び、覚えたことの容量も増え、それでわかってきたこともたくさんある。だからこそ、以前には気づかなかったことを有り有りと感じることもあるんです。それがきっと大人になったということだと思うんですけどね。「明日が不安で今を生きてる」という思いは、きっとみんなが抱えていることだと思うんです。僕らだって「これからどうなるんだろう?」と不安を覚えることはあります。ここまでやれたのだって奇跡に近いものがあるし、すごくありがたいことだと思います。今年の秋には久しぶりにDEEPとしてのツアーをやりましたが、応援してくれる人たちがたくさんいることが不安を打ち消してくれたし、明日へ繋がる自信にもなるというか。昔からライブに来てくれている人たちの顔があちこちに見えると、不安な気持ちも緩和されるじゃないけど、「ずっと応援してくれている人たちがDEEPにはいるんだ」と思えることで、それが自信にも繋がったんですよね。
■みなさんがずっと歌い続けていく姿勢は変わらないんだと思いますけど、誰だって物事を長く続けていく中で、決して自信に満ちあふれた日々ばかりではないし、言いようのない不安にさいなまれる日だってありますよね。
TAKA そう。そこなんですよね。人が生きていくって決して綺麗なことばかりではないのが現実じゃないですか。僕らは綺麗なバラードを歌い続けてきたグループですけど、僕らだってみんなと同じように未来が不安で、思い悩むことだってあります。「みんなと同じ気持ちで日々を頑張って生きているんだよ」と伝えたかったし、僕ら自身がそれを歌いたかった。そんな人生歌をみなさんにも身近に感じてほしかったのと、頑張っている人たちの応援歌になればなという思いも、この曲が生まれた背景にはありました。
■歌詞の中に書いた「新しい風が通り過ぎてはまた去っていく」の歌詞も、長く同じ仕事をしているとよく感じることですよね。
TAKA 僕たちの置かれている環境もそうで。どんどんと若手が後から出てきては追い抜いていくと感じてしまう。それでも僕らは揺るがない信念を持って歌い続けているし、これからも歌い続けていく。そういう変わらない存在があり続けてもいいんだと思いますからね。
YUICHIRO “何度でも”は、今だからこそ歌える楽曲という実感を持って僕ら自身も歌っています。今回の歌詞は、メインで歌っているところは、その人自身が書いているんです。僕でいうなら、サビとDメロの部分。人生は一度きり、だからこそ僕らはこの命が果てるまで歌い続けたいし、そういう人生を送りたい。この曲を聴いてくださる人それぞれによって、背負うものはいろいろだと思います。その人が生きている証や、頑張っている物事と重ねあわせて聴いていただけたら、この“何度でも”に書いた思いの意味が、より深く伝わるのかなと思います。僕自身も、自分の決意や思いをこの曲の歌詞に詰め込みました。
■“何度でも”の歌詞は、3人それぞれが自身のパートの歌詞を書いていたんですね。
YUICHIRO みんなでテーマを決めて、それぞれに書いた言葉を持ち寄って、それを3人で摺り合わせて作りあげました。
■そのテーマが気になりますね。
YUICHIRO 「着飾らずに、自分の素直で真っ直ぐな思いをそのまま書こう」というのが大前提にあった上での話になりますけど、このグループはもともとTAKAやATSUSHIさんが始めたCOLORというグループから始まり、一度TAKA以外のメンバーが脱退し、そこへ僕とKEISEI、RYOが加わり、新生COLORになって新たに始まったわけですけど、その後、DEEPへ改名。RYOが卒業して3人になり、新たにオーディションを行って、3人のメンバーを加えたDEEP SQUADとして活動。そして今は若手の3人は別グループで活動し、再びこの3人でDEEPとして活動をしているわけですけど、外から見たら、形を変えながらも順調に進んでいるように思われるかも知れませんが、僕らが歩んできた道のりは山あり谷ありで、辛いことや苦しいことが本当にたくさんあった道のりでした。もちろん良い経験だっていろいろとしていますけど、決して平らな道のりではなかったのも事実です。そういう明日の見えない苦難の日々も含めた僕らの人生の歩みを、いろいろな人の人生観と当てはめて聴いてほしかったし、僕らの歩んだ経験を詰め込んだ歌を通して、この曲を聴いてくれた人の背中を押せる楽曲にもしたい。そんな思いを持ってこの曲を作りました。
■KEISEIさんはどの辺の歌詞を書いたのでしょうか?
KEISEI 僕は2番のA、Bメロの部分です。30代後半や40代前半の時期って、将来への不安を改めて思い浮かべることから、よく2回目の二十歳とも言うじゃないですか。その心情を僕は等身大に書いています。ただし、ただ不安がるのではなく、自分が情熱を持って突き進み続ければ、その悩みも自然と解決していくと言葉にしたかったし、そう思うことで自分が求める願いは叶っていくとも書きました。DEEPは17年以上続いているグループです。そこからさらにもう一周するなら、高いモチベーションを持つことがすごく大事になっていくと思います。そのためには、自分たちが積み重ねてきた経験に、さらに情熱を込めていくべきじゃないかなと自分は思ったんですよね。どんな仕事の人でもそう。一つの物事を長く続けている人って、そういうモチベーションの人が多い。中には、短い期間で一つの夢が破れ、また違う道へと進む人たちもいますけど、でも、そういう人たちでも“何度でも”の歌詞が胸に響くと言ってくれると思います。そういう人たちも、それこそ夢を抱いて上京して、必死に仕事にぶつかったけど、たまたまその壁を乗り越えられなかっただけで、根底にある不安を含めた気持ちは、僕らと何も変わらないと思います。ただ、何度も壁を乗り越えながらも一つの物事を続けている人たちほど、この“何度でも”の歌がより深く胸に突き刺さってほしいです。
■いくら好きなことでも、一つの物事を長く続けていくのは正直大変なことですからね。
KEISEI 長く続けていくこと、一つの物事をやり続けることって本当に大変ですよね。たとえ壁を乗り越えたとしても、その度にまた新たな壁が立ち塞がり、「この壁は超えられるのかなぁ」と思いながらも必死に乗り越えたら、また再び壁が現れる。でも、その壁を乗り越える度に「やって良かったな」と実感していくんですよね。僕自身も、若い頃は「前しか見ない」姿勢や、その勢いを持ったままずっと人生を歩んでいけると思っていたけど、経験を重ねていくほど、いろんなことを考えてしまうんですよね。何も考えずに突き進んでいた若い頃って、今振り返ってみたら、マジ良かったなと思いますよね。(笑)
■第二の二十歳という言葉も、年齢を重ねると実感することだなと感じます。
KEISEI 若い頃はこんな気持ちになるとは正直思っていなかったですからね。僕らは17年間音楽活動を続けていますけど、ここから先「また同じくらいの年月を重ねていけるのか?」と考えることは正直あります。ただ、その度に僕は、「振り返ったら駄目だ、今を楽しまなきゃ」と気持ちを奮い立たせています。そう思いながらも、きっとずっと音楽は続けていくんですけどね。
TAKA 自分は1番の歌詞を書いているんですけど、僕は物事をいろいろ深く考え込んでしまう性格だから、KEISEIのようなポジティブな精神に羨ましさを覚えることも多いんです。ただし、僕も“何度でも”の歌詞の中で、「明日が不安で今を生きてる」と書きながらも、実際には異なる気持ちを持っていると言いますか……。明日のことなんて誰もわからないじゃないですか。わからない明日のことを不安に思って生きていくのって、なんかもったいないと思うんです。「明日のことなんてわかんないからこそ、今を楽しまなきゃいけないな」と自分は思っていて。ただ、グループや自分自身の先のことを見据えて、いろいろと考えてしまうのが自分の気質だし、そういう生き方をずっとしてきているから、それもわかってはいることなんですけどね……。「やり続けていれば負けない」、「あきらめずに続けていけば、ずっと勝ち続けていける」、「あきらめたら、その時点で負けだから」。これらは、LDHの代表のHIROさんに言われた言葉なんです。確かに「あーじゃない、こうじゃない」と、思い悩みながらも歌い続けていくことにこそ意味があるし、そこに意義や成長があるんだと感じるようになってからは、より「歌い続けていく」気持ちに腹をくくれるようになったなと自分でも思っていて。結局はみんな歌が好きだから、それがどういう形であれ一生歌い続けていくんだろうなと思います。ただ、なんで僕らがプロとしてこの世界でやり続けているのか。それを考えた時に出てきたのが、「誰かに、何かを感じてもらいたくて歌っている」という思いなんですよ。自分のためだけに歌っているのなら、カラオケに行って歌っているだけでも満足は出来るかもしれない。でも、僕らがこの世界で生きていく意味というのは、「この歌声で誰か一人でも救われるのなら」という思いであり、「自分たちの歌を一人でも必要としてくれる人がいるから」なんですよね。それが、先に不安を覚えながらも、僕らがプロとして歌い続けていく一番の理由であり、アマチュアとプロとして歌うことの大きな違いだと思います。それをYUICHIROがサビの歌詞にも書いてくれました。
■ネガティブな心情もあえて歌詞にしてきたからこそ、“何度でも”の歌がより深く胸に染みるんですよね。
TAKA 僕らは以前にも“SING”という楽曲で、“何度でも”と重なるような「歌い続けたい」という思いを書きました。その時よりもさらに赤裸々に、リアリティを持った歌詞になったのも、僕ら自身が決して華やかなところばかりで生きてきたわけではないからこそなんですよ。もちろん人から見たら羨ましく思える面があるのもわかります。でも、僕らも僕らなりの生きてきた人生観の中で、みんなと同じように、「こんなはずじゃなかった」と何度も思いながらも進み続けてきました。だからこそ、それを着飾ることなく赤裸々に伝えたかったし、「僕らもみんなと同じような気持ちで日々を生きているよ。生きていく上では、いろんなことがあるよね。でも、一緒に頑張っていこうよ」と言いたかったんですよね。
■ファンの方々の“何度でも”に対する反響の声もいろいろと返ってきているんですよね?
TAKA 「胸に刺さりました」、「聴いていると涙が出てきます」という言葉をよくいただいています。DEEPの魅力であり、武器と言えば、ストーンと抜けるようなYUICHIROのハイトーンボイスです。この“何度でも”のサビは、そこをとくに活かしているから、全体的にキーが高めなんですよ。それこそ、歌い始めから高いキーで入っていくから、僕やKEISEIにとってはいつもよりも高めなので、ちょっと苦しい感じなんです。ときには首筋に血管が浮きでるくらいの気持ちで歌うことも多いんですけど、ライブだとその姿が思いを込めて歌っているようにも見えてくるから、それも良い見え方になっているのかなと思っていますけどね。(笑)
■YUICHIROさんもこういう気持ちを歌いたかったわけですよね?
YUICHIRO そうですね。僕らは17年以上活動を続けているように、綺麗ごとだけを歌っていても違うというか、今の自分たちの思いをリアルに歌いたい気持ちがより強くなってきています。自分たちが歌い続ける意味を自分たちにも問いかけた“SING”を歌ったのが、ちょうど活動10年目の節目の時期でした。今回は6年ぶりにCDシングルとして発売するということで、そういった時期も重なり、改めてその思いを赤裸々に歌いたくて誕生したのが、“何度でも”でした。それがいつになるのかはわかりませんが、きっとこういう思いは、今後も形を変えてまた歌にしていくんだろうなと思います。
TAKA そうだね。歌い続けていく限りは、きっとずっと思い続けていくことだからこそだね。