ヒロキ(Vo&Ba)、スケロク(Dr&Cho)、ワラビノ(Gt&Cho)
「これはあなたの歌なんですよ」生々しく人間くさい『IMAGINE』リリース
昨年10月10日『LINKS』でメジャーデビューした宮崎出身の3ピースバンドMINAMI NiNEがSUPER EP『IMAGINE』をリリース。2011年の結成当初からバンドの根底にある「広い世代に届けたい」という想いと、自由奔放かつ明快にバンドの姿を表現した今作は、ただただシンプルでまっすぐだからこそあたたかく胸を打つ。「伝えたい」「届けたい」がより強く現れたこの『IMAGINE』について、そして故郷・宮崎への想いをたっぷり話してもらった。
■前作『LINKS』でメジャーデビューされてから、気持ちの変化などはありましたか?
ヒロキ 『LINKS』を出してすぐにツアーが始まって、いろんなところを周らせてもらったんですけど、ライブに新しいお客さんが来てくれるようになったなということを感じていて。そのツアーが終わってから『IMAGINE』の制作に入ったので、今回は全部新しい曲なんですよ。『LINKS』は、それまでの7年間の活動を軸に作った作品だったんですけど、今回は全部新しい曲でフレッシュな気持ちで作れたので、前作のときとはまたちょっと違う感じですね。
■それは新しいお客さんとの出会いも含めてということでしょうか?
ヒロキ そうですね。子どもからお父さん、お母さん世代、その上の世代までライブに来る世代がすごく広くなっていったので、それを踏まえたうえで、どういう作品を作ろうかというところから始まって。テーマみたいなものはそこまでガチッとは固めなかったんですけど、1曲1曲作っていって、集まった6曲をあらためて聴いたら、すごくあったかくて生々しい作品になったなと。
■生々しくて、人間くささがにじみ出ていますね。そのうえでジャンル関係なく、どの世代にも届く曲がそろったなと思いました。
ヒロキ 自主やインディーズで出していた頃は、自分たちがやりたいことをやって、わかる人だけがわかればいいって思っていたんですよ。パンクやメロコアが好きな人に届けばいいやって。だけど『LINKS』を出してツアーを周ったら、初めてライブに来ましたっていう人や、初めてライブハウスに来ましたって人が結構いて、いろんな世代の人たちに聴いてもらえる楽曲を作るっていう、結成当初の目標を忘れちゃっていたことに気づかせてもらったような気がするんですよね。もしかしたらもっといろんな人に届くんじゃないかっていう可能性を『LINKS』とツアーで感じたので、今回はそこをより掘り下げて、なおかつ自分たちがいままでやってきたことも忘れずに、ジャンルに縛られず伝えていきたいと思ったので、その気持ちが強く出ていると思います。
スケロク MINAMI NiNEを始めるときに、おじいちゃん、おばあちゃんにも認められるようなバンドをやりたいねってことで始めたし、当時20代後半だったので、これが最後のチャンスだと思って始めたバンドでもあるので、どうしても地元の人たちに届けたい、認めてもらいたいっていう気持ちが大きかったんですよね。そういうのがバンドの土台としてあったので、今回はそれをかなり実現化できているんじゃないかなって。
■地元の人に届けたいという想いや、地元・宮崎へのその強い愛情はどういうところからきているんでしょうか?
ヒロキ 宮崎ってほんとなんもないなーって、ツアーで全国を周っていると思うんですよ。街って言っても一角だけで、そこから少し行くともうど田舎になっちゃうので、地元に住んでいる頃や、上京したての頃はどちらかというとコンプレックスを感じていて。俺たちは宮崎で育ったから田舎もんに見られるんだとか、学生時代も、俺がいま東京に住んでいたらもっといろんな情報が入ってくるのにって思っていたりしたから。でもこの3人で活動することになったら、共通の話題って地元のことばっかりだし、離れたからこそ気づくところが多いというか、いいところがどんどん見つかってきて。それやったら、全国のみんながもっと宮崎に興味を持ってくれるような架け橋的な存在になれたらっていうところもあって、宮崎宮崎言っているんですけど、ここまで宮崎宮崎言っている人、他にいないですよね。(笑)
■初めてお会いしました。(笑) 宮崎ってそんなに田舎なんですか?
スケロク 僕の実家は自販機にジュースを買いに行くのにひと山越えないといけない。(笑) あとテレビは民放が2つでチャンネルは4つしか映らないので、ケーブルテレビをつなぎたいって連絡したら、山の中過ぎてつなげられませんって断られました…。(笑)
ヒロキ 観たい番組もほとんどやっていないしね。朝「めざましテレビ」とか観ていて、「今日はドラマの最終回で主演の○○さんがいらっしゃっています」って言われても、そのドラマはやっていないので、なんのことかわからないんですよ。(笑)
■あはははは、なるほど。
スケロク バラエティ番組とかもいろんなゲストの方が出るじゃないですか。なんでその人がゲストで出るのか、番宣で出ているってことを東京に来てから初めて知りましたからね。(笑)
ヒロキ Mステもないしね。
ワラビノ だいたい月9がないですもん。
ヒロキ 月9のドラマは土曜の4時だね。
ワラビノ 宮崎の月曜9時はサスペンス。(笑)
■民放2つともですか?(笑)
ワラビノ そうです、宮崎の月9は両方サスペンスです。(笑)
ヒロキ でも、だから良かったっていう点もあって、テレビを観ないからラジオを聴くんですよね。
■あー、なるほど。
ヒロキ ラジオがおもしろくて、そこからいろんな音楽を知っていったので、いま思うと良かったなっていう点はすごく多くて。ラジオを聴いていなかったら、もしかしたらここまで音楽にのめり込んでいなかったかもしれないです。僕の場合、バンドを始めたのが中学生のときで、保育園からの幼なじみとバンドを組んだんですね。そしたら他にバンドをやるヤツがいなかったこともあって、先生たちみんなが協力してくれて、機材を買ってくれたりしたんですよ。
■それはすごいですね。
ヒロキ MTR(レコーディングをする機材)とかを学校の備品として買ってくれて、これでデモを作りなさいって。そこから音源を作ることに興味を持っていって。なので、田舎だったからこそのめり込んでいったっていうのはあるかもしれないです。
■MINAMI NiNEの結成はそれからどのように?
ヒロキ 僕とワラビノはずっと一緒に音楽をやっていて、一緒に東京に出てきたんだよね。
ワラビノ (MINAMI NiNEの前の)別のバンドでね。
ヒロキ 25歳までは一緒に別の3ピースバンドをやっていたんですけど、それがうまくいかずに解散して。でも、やっぱりバンドやりたいよねって、何も結果を残さないまま地元に帰るとか、まったく別の道を探すのはちょっとかっこ悪いというか、父ちゃん、母ちゃんにもなんて言っていいかわかんないし。そんなところにすごく暇してる地元の先輩がたまたま東京にいて。
スケロク あはははは!そう、僕もやっていたバンドがなくなって、半年くらいふらふらしている時期があって。mixiで「誰かバンドやろうよ!」ってつぶやいたら、それを見て連絡くれて、「ちょっと手伝ってもらえませんか?」っていう話から、じゃあ一緒にやりましょうって。
ヒロキ 僕たちと彼(スケロク)がやっていたバンドのジャンルが全然違ったので、「どうなるんだろう?」って気持ちはあったんですけど、なんかいい感じになったかなって。(笑)
■どんなジャンルだったんです?
スケロク 僕はパンクというかロックンロールというか、もう8ビートで「わー!」ってやるだけでした。(笑)
ヒロキ 俺たちはけっこう速い感じでね。
ワラビノ 歌詞は日本語でいまとそんなに変わりはないんですけど、暗い曲が多かったんですよ。
ヒロキ 暗くて激しい感じね。だから一緒にライブをやる機会とかもなかったもんね、スケロクさんとは。
スケロク 対バンしたのは2回くらいか?
ヒロキ だからまさか一緒にやるとも思っていなかったし。
スケロク でも曲は好きだったし、同じ宮崎のバンドってこともあって、ずっと気になってはいたんですけど、ジャンルがかけ離れ過ぎていて、一緒にやることはないなって。でも、ふらふらしていたときにたまたま声掛けてもらったので。
ワラビノ 暇な3人がふら~っと集まりました。(笑)