三澤紗千香 VANITYMIX WEB LIMITED INTERVIEW

三澤紗千香『I AM ME』

声優だけど演じない、生き様が詰め込まれた『I AM ME』制作秘話

4月に約5年半ぶりのシングルを発表して音楽活動を再開した三澤紗千香が、初のフルアルバム『I AM ME』を完成させた。本作にはシングル『この手は』『I’m here/With You』の各収録曲に加え、“I’m here”に続いて自身で作詞・作曲を手掛けた“青い涙”、LiSA“紅蓮華”の作曲でも知られる草野華余子が提供した“フラッグ”などを収録。声優ならではの表現力豊かな歌声を響かせる一方で、彼女の人間性が全面的に反映されており、アニソンなどとは一線を画す楽曲で構成されている。本作を聴き終えれば、きっと他人の歌とは思えなくなるはず。それほどに三澤紗千香の生き様が詰まったアルバムについて、話し始めたら止まらないエピソードの数々をたっぷりと聞かせてもらった。

■9月にセカンドシングル『I’m here/With You』のインタビューをした時は、アルバムを用意しているようには見えなかったんですけど、あの頃から計画はあったんですか?

三澤 私はセカンドが売れなかったら次はないと思っていたんですけど、プロデューサー的には前から計画していたみたいです。レコード会社の決算が12月だから、年内に発売したかったらしくて。

■そうなんですね。(笑)

三澤 それに、もっと曲が貯まってから出すものだと思っていたので、アルバムの話を聞いた時は「大丈夫なのかな?」とは思いました。

■じゃあ、制作はセカンドをリリースしてから始めたんですか?

三澤 そうですね。ひとつひとつ終わらせないと、三澤さんは次に進めないとプロデューサーは思っていたみたいで。声優の仕事では、一日に複数の役を演じることもあるし、途中まで録って残りは次週にまわすことも普通にあるので、そんなに気を使わないでもらっても大丈夫だったんですけどね。(笑)

■新曲は6曲ありますけど、曲を選ぶところから始まったんですか?

三澤 はい。今回も全部携わらせてもらって。“あと一歩”(『この手は』カップリング曲)とかを作ってくださった作家事務所さんから、候補曲をいっぱい送っていただきつつ、セカンドでは自分で作詞・作曲したから、アルバムでも自分の曲を入れなきゃとは思っていました。それと、前の音楽活動でお世話になっていた草野華余子さんには、プライベートでも仲良くしていただいていて。「また音楽の仕事をする時は一緒にやろうね」と言ってくださっていたんです。

■LiSAさんの“紅蓮華”とかを作曲されている方ですよね。

三澤 めちゃくちゃ忙しい方なのはわかっていたんですけど、相談したら、「三澤のためだったら!」と言ってくださって、“フラッグ”を作詞・作曲していただきました。それから“I’m here”も編曲してくださった千葉”naotyu-“直樹さんにも、“Wonder&Wander”を作曲していただいて。華余子さんもnaotyu-さんも、前の音楽活動を知っている方なので、新しい三澤を探してもらいつつ、「好きなように作ってください」っていう感じでお願いしました。

■“フラッグ”は今作で唯一のアップテンポ曲で、昔の三澤さんを思い出しました。

三澤 華余子さんと初めてお仕事したのが、“シグナル”という曲(2014年発表『フェイス』のカップリング曲)で、それは三澤をイメージして作ってくれた曲だったんです。それで今回は、当時の音楽をやっている三澤が成長したら、こうなっているかもしれないというイメージで作ってくれたらしくて。

■「あの日のシグナル It’s my treasure」という歌詞もありますよね。

三澤 たぶん、その“シグナル”という曲にかけてくれたんだと思います。当時も今も「自分とはなんだろう?」と探し続けていることは変わらないんですけど、全体を通して三澤感がありつつ、華余子さん自身のよさもあって、忙しい中本当に素敵な曲を書いてくれたな、さすが売れっ子だな、と思いましたね。(笑)

■前の音楽活動がなかったら、この曲は生まれてなかった?

三澤 そうですね。昔からの三澤ファンが聴いたら、めっちゃエモいだろうなと思います。前の頃はロックアニソンサウンドだったので、ちょっとそれっぽくもあるし。それに“フラッグ”も“シグナル”も、編曲はnaotyu-さんなんですよ。三澤っぽいロックサウンドを知っている2人という意味でも、ベストな布陣で作れた曲になったなと思います。

■一方でリード曲の“I Wanna Be”は、さっき言われていた作家事務所と作った曲ですよね?

三澤 そうです。たくさん出していただいた曲の中でも、いちばんサビで広がる感じがあって。J-POPっぽくもあり、洋楽っぽくもあり、あんまり声優が歌わなさそうだし、三澤っぽくない感じがしたので、挑戦してみたいなって。「あー、三澤さんっぽいね」と言われるのは、嬉しいけど嫌なんです。(笑)

■確かにサビの声を張っている感じとか、今までの三澤さんの曲とは違う感じがします。でも、歌詞は三澤さんっぽい。

三澤 歌詞を書いてくださった柿沼雅美さん(Yheri Kangとの共作)は、“With You”の歌詞も書いてくれている方で、レコーディングでもお会いしているので、みんなが思う三澤と、実際に接してみた三澤を合わせて書いてくれたのかな?と思いました。でも、最初は三澤っぽさが全くなくて、英語が多かったんです。私もメロでしか選んでいなかったんですけど、将来的にライブでやることも考えたら、もうちょっと日本語の比率が高い方がいいなと思って、修正をお願いしました。ただ、ある程度は英語が残っていた方が洋楽感は出るなと思ったので、そこはがんばって練習しましたね。

■「頑張って考えてても/何も分からない/逃げないでrunaway」とか、特に三澤さんっぽいなと思ったんです。すごい考えるけど、最後は当たって砕けろみたいな。

三澤 確かにそういうところありますね。(笑) この曲も静かに始まって、悩んでいるけど、やっぱり私はこうなんだって考えすぎた結果、バーンってなる感じが三澤っぽいなと思いました。ラジオで解禁した時は「意外」とめちゃめちゃ言われたんですけど、MVも含めて見てもらったら、もっと納得してもらえるかなと思います。

■三澤さんが作詞・作曲した“青い涙”についても教えていただきたいんですけど、最初は幽体離脱した曲かな?と思ったんです。

三澤 まぁ、幽体離脱みたいなもんですよね。上京したばかりのめちゃめちゃ辛かった時期に、出窓からずっと外を見ていて、「明日が来るの嫌だな」って思いながら夜泣いていた時の曲です。(笑)

■なぜ当時のことを歌にしようと思ったんですか?

三澤 初めて作詞・作曲した“I’m here”は、ソファでゴロゴロしている時に浮かんだんですけど、今回はベッドで横になっている時に「はっ!」っとなって、ボイスメモを起動して、歌い始めたらアレが出てきて。

■突然、記憶がよみがえってきたんですか?

三澤 「新曲作った方がいいよなぁ…」って、自分にプレッシャーをかけていた時ではあったんですけど、急に出てきました。自分でもビックリしましたけど。出窓にいる三澤が泣いて、ほっぺに伝っている涙がちょうちょになって、窓をすり抜けて夜空を飛んでいる絵が浮かんできたんです。「あー、懐かしいな」と思いながら録っていました。でも、あの頃の経験は無駄じゃなかったというか。当時は「夜が明けないでくれ」と思っていただけでしたけど、27歳になって曲として消化できたので。

■成仏できたんですね。(笑) 最後は「わたしは どこへ行くのだろう」で終わっていますけど、まだ闇からは抜け出せていないんですか?

三澤 その時は抜け出していないですね。「明日が来ちゃった、今日も泣いてる」みたいな感じだったので。でも、本当に真っ暗闇だったら、潰えていくちょうちょしか見えなかったと思うんですけど、飛べていたから、何かしら未来に希望が見えていたのかもしれないです。理想と現実のギャップで悩んでいたというか、月のような光っているものに憧れて、それを諦められない自分がいる。だから、自分の中ではポジティブな曲なんです。それに、ラジオで解禁した時の反応が、めちゃめちゃよかったんですよ。

■どういう反応だったんですか?

三澤 みんな「なんかわかる」と思ってくれたらしくて。三澤ファンは明日学校行くの嫌だなとか、会社ツラいなとか、闇を抱えている人が多いから、そういう人に向けて希望になる歌を届けたいんですけど、「作家さんの手を借りた曲じゃなくて、実際に三澤が作りました」って言うと説得力が違うのか、「自分もそういう時あった」みたいな感想をもらえて。自分で作詞・作曲した曲は、自分と同じような人には響くんだなっていう自信になりました。

■闇を抱えている人は三澤さんに惹かれやすい?

三澤 病みながらも、社会に抗いながら生きていくのが三澤ファンだなっていう。基本真面目なんですよ。真面目だからこそ悩んで、自分を責めてしまう。会社、学校には行かなきゃいけないから行くし、行ったら行ったでがんばる。行ってダラダラするのは嫌だっていう人が多いだろうなと思います。

■上手く発散できない人たちが多いんですかね?

三澤 そうかもしれない。そういう人たちの絆創膏に、この“青い涙”がなったらいいなと思います。

■ちなみに三澤さんは発散できるんですか?

三澤 できないです。できたらこんな曲、書いてないですよ。27歳になって、新曲書かなきゃって追われた結果出てきましたけども、いい思い出のように語っていますけども、あの頃は毎日が暗黒でしたよ。ツラかった〜。

■それを消化するには時間が必要だった

三澤 時間も必要でしたし、自分で作詞・作曲したものを世に出すことが恥ずかしかったんです。でも、今は何があっても受け止めてくれる人がいることもわかっているし、プロが関わってくれているから、最悪いい曲風にしてくれるだろうという安心感があるんです。そのツラかった時期は、そういう助けてくれる人がいなかったので、どうしようもなかったんですよ。

■当時は忙しかったからツラかったんですか?

三澤 忙しさもあると思います。大学も行っていたし、なんかいっぱい仕事があったし、一人暮らし始めたばかりだったし。恵まれた話ですけど、キャパオーバーになっていたんだと思います。ファンの人も急に増えて、いろんな人から「ああしてください、こうしてください」って言われて、どうしていいかわからなくなって。

■全部受け止めちゃった?

三澤 現場で言われたことをどうすれば直せるかわからなくて。足りないのはわかっているけど、家に帰ったら大学の課題をやらなきゃいけない。SNSを見たら、みんな楽しそうにサークル活動して、飲み会して、彼氏と楽しく過ごして、家族と旅行して。私は仕事場と大学と家をひたすら行き帰りしていて、全然暇がなかった。そしたら窓辺で泣いていたんですよ。(笑) そういう苦学生みたいな時期を経験している人はたくさんいると思うんです。アルバムの中の1曲だし、そういう人にハマったらいいなと思って、すっと書いてみたところ、ファンの人たちから「なんでシングルにしなかったの?」と言われて、「何がウケるのかわからん!」と思いました。