今以上にキラキラとした輝きを放つ活動をしていきたいなと思っています。
始まりは、サンリオピューロランド公式アイドル“ピューロボーイズ”としてだった。犬束祐帆・高根正樹・三村杏樹・宮本雪翔・横山拓海の5人によるピューロボーイズは、2022年4月23日にサンリオピューロランドで行われたイベントから活動をスタート。だが、1年後になる2023年4月23日に開催した『1st Anniversary LIVE』を持って、ピューロボーイズとしての活動に終わりを告げた。同時に5人は、新たに「PANBE」と名前を変えて活動を継続していくことを宣言。2024年7月30日に発売した1stアルバム『Panvilion』は、オリコンデイリーランキング2位を獲得。ボーイズアイドルシーンの新たな担い手として高い注目を集めた。だが、2025年2月23日に行った6大都市をサーキットした全国ツアーのファイナル公演を持って、リーダーの高根正樹が卒業。以降、PANBEは4人で活動を続けている。そしてメンバーにとって大切な記念日となる2026年4月23日に、SHIBUYA PLEASURE PLEASUREにて、4周年を記念したワンマン公演を行う。それに先駆けて3月17日には、4人のPANBEとして作りあげた2ndアルバム『EXPANDE』をリリース。今回VANITYMIXでは、4週に渡ってメンバーのパーソナルインタビューを公開。一人一人がどんな気持ちでPANBEとして活動をしているのか、胸の内に秘めたその思いを、おのおのの言葉から感じ取ってもらいたい。第4週目のインタビューに登場したのは横山拓海。その心の声をここにお届けしよう。

■拓海さんが音楽に興味を持ち始めたきっかけからまずは教えてください。
横山 僕は5歳からフラダンスを習い始めました。きっかけは近所にフラダンス教室ができたことで通いだした、母親の影響でした。母親もおばあちゃんの影響でフラダンスを習い始めたので、結果的に3代続いているわけですけど。(笑) 初めは母が習いに行く時に僕を一人で家に置いておくわけにはいかず、一緒に教室へついて行って、母の躍る姿を見ていました。そのうちその教室で子供向けのフラダンス教室も始めることになり、先生に「フラダンスを習ってみない?」と誘われたのがきっかけでした。初ステージは5歳の時の発表会でした。僕にとって初めての音楽体験となると、やはりフラダンスになるのかなと思います。
■フラダンスはいつまでやっていたのでしょうか?
横山 今も続けているので、フラダンス歴はもう23年になります。
■なるほど。気づいたらフラダンスが日常に当たり前にある存在になっていたわけですね。
横山 そうですね。10歳の時に出たフラダンスの全国大会で優勝して、日本代表として出場したハワイで行われた世界大会でも4位に入賞しました。当時、世界的なフラダンス大会で日本人の小学生で入賞したのは僕が初めてだったので、雑誌とかにも取り上げられました。そういう経験もあって今でも続けています。
■そこでフラダンスのプロの道に進もうとは思わなかったんですか?
横山 その気持ちもありましたけど、フラダンスを躍るだけで食べていくのはなかなか厳しいので、教室を開いてフラダンスを教えるか、フラダンスを筆頭にハワイアン系のイベントを企画する側でやっていかないと難しい環境でした。それよりも僕は、フラダンスを通してステージ経験を重ねたことで、「人前に出て注目を浴びてチヤホヤされたい」というような気持ちが強くなり、そこから「芸能の道に進みたい」と思うようになりました。
■それでアイドルを目指し始めたわけですね。
横山 そうなれたらなという気持ちはありましたけど、それはもっと先の話です。僕が通っていた高校は、三重県で”御三家”と呼ばれるような進学校で、それこそ医学部を志望して入った人も多かったし、京大などの国立大学へ進学する人がたくさんいました。その学校の中で、僕は落ちこぼれ側になってしまって……。みんなが医学部を目指して勉強している中、僕も勉強を頑張りましたが、いくら努力をしてもみんなのレベルには追いつけなかったことで、劣等感を覚えていました。その時に僕の胸にあったのが、「僕がいくら頑張っても勉強でこの人たちには勝てない。やはり僕は人前で何かをすることで頑張ろう」という気持ちでした。
■”御三家”と言われる進学校へ入学したということは、中学時代は成績が良かったわけですよね?
横山 中学時代はかなり優秀だったと思います。(笑) あの当時は勉強をしなくても成績はいつも良かったですし、とくに受験勉強をするわけでもなく、その高校にも進学できました。あの頃は「勉強なんてセンスがあればできるもの」と思っていましたけど、高校に入って初めて現実の厳しさに直面しました。
■高校へ入った途端、目の前には努力しても勝てない人たちが相応にいたわけですね。
横山 そうです。でも僕は負けず嫌いだから、その人たちに勝とうと必死に勉強しました。でもどう頑張っても京大や東大などへ進学する人たちがうじゃうじゃいる学校ですよ。「この人たちにはいくら頑張っても勝てない……」と悟り、自分が自慢できた「人前で何かをする道へ進もう」と思ったわけです。ただ、親の希望もあって、大学も受験はしましたけど、目指した大学には現役では合格できず、そこで浪人も経験しました。その時の予備校で出会った先生が、今へと導く大きな転換期になりました。
■そこが気になりますね。
横山 その学校には、進路のことを相談するチューターさんという先生がいました。その人に進路相談をしている時に「君はどういうことをやりたいの?」と聞かれ、「強いて言うなら、ジャニーズに入ることですね」と言ったら、「横山くん、そういうの向いているよ」と言い出したんです。そんな発言をした自分も自分ですが、本当なら大学を推薦すべきチューターさんにそう言われたことが後押しになって、自分でも「挑戦してみよう」と思っていろいろと調べました。当時は名古屋の予備校に通っていたので、名古屋の近くでも受けられるオーディションを探した時に見つけたのがワタナベエンターテインメントさんがやっている養成所のオーディションでした。そのオーディションで、僕はいきなり「特待生合格」をいただきました。それをきっかけに「芸能の道で生きて行こう」と決意しました。ただ、親から「せめて大学には進学してほしい」と言われていたことや、養成所自体が東京にあって、そこでレッスンを受けることから、東京の大学を受験して無事に合格しました。そこからは大学に通いつつ、養成所に通う日々を送っていました。
■東京のどこの大学に入学したのかも興味があります。
横山 現役で受けた時とは別の大学でしたけど、法政大学に合格して無事に入学できました。僕は高校時代の部活で野球をやっていたくらい、野球が大好きなんです。法政大学と言えば「六大学野球」です。「そこが僕の母校になったらいいな」という理由で、法政大学に入りました。
■受験も実力を競い合う場ですけど、芸能の仕事も実力がないと這い上がれない世界です。勉強の面では、現実のシビアさも知ったわけですが、芸能の世界ではどうでしたか?
横山 養成所でもだいぶ現実を知りました。僕の場合、特待生を集めたクラスだったので、周りは美男美女ばかりで……。しかも実力者も多く、養成所で学びながらも芸能活動を始める人たちも多い環境でした。一緒のクラスで学んでいた人は、今や2.5次元の舞台でめちゃめちゃ有名になっているような実力者たちが多く、僕はそこでも劣等感を覚えていきました。
■横山さんも養成所時代に芸能の活動や仕事の経験はしたんですか?
横山 在学中に得た仕事は、フレデリックさんというバンドのMVへの出演という経験だけでした。“リリリピート”という楽曲で、すでに1300万回以上再生されているMV作品です。
■選ばれた当時の心境は今も覚えていますか?
横山 あの時は僕ともう1人が合格して、MV撮影の現場へ行って、その場で監督さんが、どちらかを起用して選ぶという形を取っていました。そこで僕が監督さんに「君だ!」と言われて撮影に参加しました。もう一人の方もエキストラで登場しているんですが、立場が逆だったら僕がエキストラになっていました。そこで一応メインの役をつかめたことで、芸能の道に進もうという決意をますます固めました。
■そこからどうやってサンリオピューロランドの公式アイドル「ピューロボーイズ」のオーディションを受けたのかも気になります。
横山 実は僕はピューロボーイズを目指す前に、サンリオピューロランド内で上演していたミュージカルにも出演していたんです。それが2.5次元のようなお芝居で、それが僕にとっての本格的な初舞台でした。ただ、本当なら半年間出演するはずでしたが、3ヶ月と経たないうちに、コロナ禍になったことで舞台は中止になりました。あの時に舞台を最後まで全うできなかったことに対する悔しさが残っていて、ずっとサンリオピューロランドでまたお仕事をしたいと思っていました。その後、コロナ禍が少し落ち着いてきた頃に発表になったのが、ピューロボーイズのオーディションだったので、僕は「このオーディションに合格すれば、もう一度サンリオピューロランドで仕事ができる」と思い、それで受けました。
■不可抗力とはいえ、コロナ禍で舞台が中止になってしまったのは悔しいですよね。
横山 悔しかったですね。しかもその舞台は、僕が大学を卒業するタイミングで中止になりました。実は僕はその舞台のオーディションに合格する前までは、このまま芸能活動を模索していくか、大学の卒業に合わせて就職するかで悩んでいました。あの当時は、エントリーシートを出すまではしませんでしたが、会社の説明会には行ったこともありました。でも、その時期にその舞台のオーディションに合格したので、芸能の道に進もうと決意したわけで。ようやく道が定まったところでの中止でしたからね……。でもピューロボーイズのオーディションを受けたのには、もう一つ理由がありました。
■それもとても気になります。
横山 中止になってしまった舞台に一緒に出ていた同期の役者仲間が、その後に有名な2.5次元の舞台で主役に選ばれたんですよ。その時に「同期なのに、彼は遠いところへ行ってしまったなぁ……。やっぱり僕は駄目なんだ」と落ち込み、それで「もう辞めようかな」と再び悩んでいました。そこで出会ったのがピューロボーイズのオーディションだったことから、先ほどの理由もあって、「これを最後のチャンスにしよう」と応募したところ、無事に合格して、ピューロボーイズのメンバーとして活動することになりました。
■横山さんは、チャンスを手にできそうな環境を手にしては、そこでなぜか挫折を経験してというのを繰り返してきていませんか?
横山 そうなんです。昔から僕の人生はその繰り返しなんです……。それこそ、高校生の頃からそれを繰り返していて、挫折を味わう度に「なにくそ!!」と、それを原動力やモチベーションにして頑張ってきました。
■ピューロボーイズとしての経験は、拓海さんにどんな影響を与えましたか?
横山 ミュージカルが中止になった時に感じていたモヤモヤ感は、ピューロボーイズの活動を通して完全になくなりました。そういう意味では、ピューロボーイズのメンバーとして活動ができて本当に良かったなと思っています。何よりミュージカルをやっていた舞台で、ピューロボーイズとして定期公演をやり、その舞台に再び立ち続けられたことが、僕自身何よりも嬉しかったことでしたからね。
■その後、ピューロボーイズからPANBEに変わったわけですが、その時期の拓海さんは、どんな気持ちで変化を受け止めていたのでしょうか?
横山 サンリオピューロランドの舞台に再び立つことが目標だったから、その無念をピューロボーイズの活動を通してすべて晴らすことはできましたし、そこまでアイドル活動に執着があったわけではなかったので、「ピューロボーイズじゃないアイドル活動を僕がやる意味が果してあるのか……?」という疑問を、最初の頃は抱いていました。
■それでもPANBEとして他のメンバーたちと一緒に歩む道を決めましたよね?
横山 実はピューロボーイズとしての活動がめちゃめちゃ成功したかというと、そうではなかったので、「このまま活動を終えてしまうのは悔しいな」という気持ちも、僕の中にはありました。それに役者としての活動は、僕がピューロボーイズのオーディションを受ける前からしていたことだったので、役者を続けていく上で、PANBEとして活動を続けていくことも自分のプラスになるだろうなと思い、続けようと決めました。
■PANBEとして歩むと決めたことで、横山さんの意識や人生もいろいろと変わっていきましたか?
横山 「続けて良かったな」と思うことは多いです。PANBEを続けたからこそ、こうしてCDも出せましたし、大きな会場でライブもやれていますし、いろんなメディアへの出演も増えました。今となっては、この活動を続けてきて本当に良かったなと思っています。







