須賀京介(Vo)、JOHN(Gt)、矢沢もとはる(Ba)、宮城紘大(Dr)
Am Ampの曲たちが、聴いてくれた人の人生を彩ることができたなら……。
数々のアーティストへ楽曲提供や編曲、ミックスを手掛けてきた須賀京介が、『都内・一人組バンド』と銘打ってAm Ampを結成したのが、2022年8月。そして今年6月にJOHN、矢沢もとはる、宮城紘大の加入を発表し、4人組のバンド編成となった。7月27日には、代官山UNITを舞台に1stワンマン公演を実施。この度、ミニアルバム『A Hard Day’s Nite』を11月28日にリリース。さらに同作品を引っ提げて初の全国ツアー『where (Am) going TOUR 2023-2024』を、12月29日の代官山UNIT公演からスタートさせる。Am Ampとは一体どんなバンドなのか?その背景をメンバー4人に話を訊いた。
■Am Ampは須賀さんのパーソナルなバンドとしてスタートしていますが、まずはここへ到るまでの流れを聞かせてください。
須賀 Am Ampは、2022年8月に僕のソロプロジェクトとしてスタートしました。当時はヴォーカル・ギター・ベース・ドラム・作詞・作曲・編曲・ミックス・マスタリングまで、すべてを一人で担う形でした。一時期、役者業と作家活動をやりながら、音楽制作の面では裏方へまわっていた時期もありましたが、もともとバンドから音楽活動を始めているように、Am Ampの構想を描きだしていた頃から、バンドをやりたいという思いがあり、水面下でずっとメンバー探しを続けていました。ただ「この人!!」というメンバーがなかなか見つからず、先にソロプロジェクトとしてスタートしたんです。そして活動と平行してメンバー探しを続けていく中で、僕にとってのドラフト1位となる各パートのメンバーが集まったことから、満を持して今年6月にJOHN、矢沢もとはる、宮城紘大の3人の加入を発表し、ようやくバンド編成での活動を始めた次第です。なので、このバンド体制でのAm Ampになってからは、まだ5ヶ月程度の新人なんです。(笑)
■須賀さんは一時期表だった活動を控えて、作家としていろんなアイドルやアーティストの方々への楽曲提供の活動を始められていて、その時期から、別に役者としての道も歩み始めていましたよね?
須賀 以前に活動をしていたバンドが解散していて以降、今に到るバンドの結成を模索しながらも、作家としての活動に力を入れていましたけど、同時に、当時所属していた事務所からの紹介で、舞台役者としての出演のチャンスをいただき、違った分野での表現にも強く興味を示したことから、舞台役者の道へと飛び込みました。そこで出会ったのが、僕が初めて参加した舞台で主演を担っていた宮城でした。ただ、今のメンバーとの出会いで語るなら、一番最初に出会っているのは、実はもとはるなんです。彼とはもう10年来の付き合いで、お互いにバンド活動をしていた時から、「いつか機会があったら彼とやりたい」という思いはずっとありました。なので、改めてバンドを結成しようと思った時、真っ先にもとはるに声をかけたんです。
■そこが、スタートだったんですね。
須賀 ただ、その当時7、8回は食事に誘いながらも口説いていたんですけど、彼自身も別に音楽活動をしていたことから、参加の返事をもらえることはありませんでした……。今でも覚えているのが、映画「ボヘミアン・ラプソディ」を上映している時期で、「この映画を観た後に、バンドの誘いを受けたら断る人はいないだろう」と計画して、彼の分まで2枚のチケットを購入し、映画を観終えた後、「ちょっとこれから飯でもどう?」と誘ったところ、「明日朝が早いので帰ります」と、加入の話をする前に断られたこともありましたからね。(笑)
矢沢 あの時は「明日は朝が早いので、すみません、失礼します」と言って、映画を観終えた後すぐに帰りました。(笑)
須賀 その時期は彼も自分の活動が忙しかったので、何度か誘いをかけたけど、「今はできません」と、結果的には断られ。僕自身も2.5次元の舞台役者として踏み出すという新しい挑戦をしていたことから、作家活動は続けながら、役者の道へと邁進していました。そこで宮城と出会ったわけですから、役者活動を始めたことは結果的にすごく良かったなと思います。もし、彼(矢沢)があの時期に、バンドへの参加をOKしていたら、宮城との出会いも生まれなかったわけですからね。
宮城 確かにね。
須賀 今のメンバーはみんな、僕の音楽人生を語る上でターニングポイントとなる時期に出会い、運命を共にした仲間たちになります。もとはるは、僕がバンド活動を始めたての頃に出会ったバンドの先輩で、宮城は右も左もわからない状態で役者の世界に入った僕へ、自分の背中を通して役者としての生きざまを見せてくれた座長のような存在です。そしてJOHNは、Am Ampに必要な最後のピースを探している時に、彼がサポートをしているバンドのライブをたまたま観て、稲妻のような衝撃が走ったというか、僕が求めるギタリストとしての理想をすべて備えていた人で。そこからJOHNも口説き落としたわけですけど、3人とも出会った時期は異なれど、僕のいろんな音楽人生の転換を迎える分岐点でめぐり合った人たちなんです。本当にかけがえのない男たちです。その3人が集まったことで、Am Ampとしての活動が本格的に始まりました。
■このメンバーが揃ったのは最近なんですよね。
須賀 それぞれ声をかけて参加した時期に多少の差はありますが、今年6月に3人が出揃ったことで、6月24日に正式にバンドとしてのスタートを表明しています。それからほぼ1ヶ月後の7月27日には、代官山UNITを舞台にデビュー公演をワンマンスタイルで実施。その前にも、配信で音源をリリースして、今回のミニアルバムのリリースと、早い展開で活動していますけど、バンドとしてのAm Ampの活動はまだ始まったばかりです。
■矢沢さんやJOHNさんはバンドマンとして相応のキャリアを重ねてきていますが、ドラマーの宮城さんは役者が本業だったんですよね?それまでにドラムの経験は?
須賀 そこは事前に、高校時代に軽音部に所属していて、ドラムを叩いていたという話を聴いてはいましたけど、バンドの加入に合わせて本格的にドラムを習い始めたのは、今年に入ってからなんですよ。
宮城 今もお世話になっているドラムの師匠の元で、今年3月から習い始めました。今でも覚えているのが、最初のレッスンの時に、椅子に座った時の身体の重心の置き方や、身体に合った機材の高さの設定、スティックの持ち方など、細かいところから教わりだしたことです。それこそ、スティックを握ったフォーム一つを取っても、「それは違う」と直されたりしましたし、最初にドラムを叩く時も、スネアを一打一打「トン、トン」と叩き続ける練習のみを2時間とかやっていましたからね。ただ、過去のお遊び程度の経験があるとはいえ、役者の道を邁進していた自分にとって、こうやってドラムを教わることも、バンドの一員として活動をしていくことも、すべてが新鮮でした。今もそうですが、毎日が勉強という日々で。本当に無我夢中で活動をしています。
■歌える役者さんはいるけど、ドラムを叩ける役者さんは本当に珍しいですよね。
宮城 なかなかいないですよね。(笑) 僕自身、身近では聞いたことないですもん。(笑)
須賀 Am Ampは自分にとって「これが最後」という覚悟を持って組んだバンドなんです。そこまで腹を括ったバンドに、経験の浅い宮城を迎え入れたのも、僕が彼自身をすごくリスペクトしていたからなんです。ドラムの技術は経験を重ねれば上手くなりますけど、人間性はそうじゃないところですしね。僕は今の3人の人間性を強くリスペクトしていますし、信頼を置いています。僕はAm Ampを一生のバンドとして続けていきたいからこそ、何よりも人間性を重視して、この3人に声をかけたんです。確かにほぼ未経験の彼(宮城)に、リズムの要となるドラムを任せるのはギャンブルでした。曲を聴いていただければわかるように、僕が作る楽曲は経験者向けの、表現力を求められる楽曲ばかりです。未経験の人にプレイを求めるのは、相当ハードルの高い曲ばかりですけど、彼は信じられないくらいの伸びしろを見せてくれていて、バンド結成を発表して約1ヶ月後に行なったワンマン公演でも、しっかり成功へと導くプレイをやってのけましたからね。こうやってAm Ampが精力的に攻めていけるのも、彼の成長があってこそなんです。まさにAm Ampの一番の功労者です。
宮城 確かに演奏に求められるハードルはめちゃめちゃ高いんですけど、自分にとっては、すべてがありがたい経験というか。どうせいつかは超えなきゃいけないハードルなら、始めたての時期からそれを超える修練を詰めるなら、そんなありがたいことはないじゃないですか。確かに身につけるのは大変ですけど、そこを僕は大切にしています。本当にAm Ampに入って良かったなと僕自身も本気で思っていますから。JOHNはどうなの?最初に声をかけられた時は迷っていたけど……。
JOHN 自分もバンドの解散は何度か経験している身で、ちょうどコロナ禍へ入った時期に、以前のバンドが解散したことから、自分としてはもうバンドを組む気はなく、サポートミュージシャンや一人のギタリストとして活動をしていこうと決めていたし、そうやって音楽活動を継続し続けてきたわけだけど、そこで須賀京介に出会って、めちゃめちゃ口説かれたわけですよ。確かに最初の頃は、いくら誘われても「もうバンド活動はやらないな」という意識でいたけど、まだ京介が一人で活動をしていた時期に制作した“miteyo”のMVを観た時、彼の作る楽曲のクオリティや世界観、何よりヴォーカリストとしてのポテンシャルの高さに惹かれ、「もう一度、本気でバンド活動を頑張ってみよう」と心が動き、今があります。
宮城 今はAm Ampの活動を楽しんでる?
JOHN すごく楽しくバンド活動をしているよ。(笑) このメンバーと出会って、まだぜんぜん日も浅いのに、こんなに心打ち溶け合えているのはすごい不思議なことだなと、自分でも思っています。なんだろう……自分自身のことをこんなにも包み隠さずに言えるのって、本当に素敵な関係だなと思っていて。それと、京介から「これが最後のバンドだし、お遊びなんかじゃない、本気で命を賭けてるぞ」という気持ちが伝わってきたところも、自分の心を動かした要素
にはなっているよね。
矢沢 実は僕も“miteyo”のMVを観た時の衝撃が、心を突き動かされたきっかけになっていますからね。
■何度も誘いを断り続けていたのに?
矢沢 すべてはタイミングなんですよ。当時、誘われていた時期はまだ自分のバンドを動かしている最中だったし、その時期に解散を発表してたとはいえ、自分の性格上、最後の時を迎えるまでは、そのバンドのことだけに気持ちを集中していたかったし、すべてのエネルギーをそこに注いでいたかったんです。だから、外からの声があっても、その当時やっていたバンドのこと以外は何も考えられなかったというのが正直な気持ちです。そのバンド活動を終えて以降、久しぶりに彼(須賀)から誘いの電話がかかってきた時は、以前とは違って即答しましたからね。その理由になったのが、“miteyo”のMVを観た時に、そこに自分がいないことに違和感を覚えたことだったんです。あの映像を観た時から、「なんでもとはる抜きでやっているんだ……?」と感じていたことから、4年振りに誘いの電話が来た時には、即答で加入の返事をしました。
■自分から「加入したいんだ」とは言わなかったんですか?
矢沢 さすがに自分から電話をかけて、「なんでそこに僕がいないんですか?」と聞くのはちょっとダサすぎるかなと……。
須賀 彼は「僕が欲しいのなら口説いてきなよ」というタイプだから。(笑)
宮城 京ちゃんがもとはるさんに電話をした時の対応が印象的だったんでしょ。
須賀 「そろそろ連絡が来る頃だと思っていました」と答えていましたからね。(笑) 以前は何度も顔を合わせて口説きながらも、それでも断られていたのに、今回は電話で、しかも1分半くらいの会話で加入が決まりましたからね。(笑)
矢沢 Am Ampとして表現したい画が自分の中で見えたことが大きかったですね。僕自身も須賀さんとは10年来の付き合いだし、昔から「いつか一緒にやりたいな」とは思っていた人だったし。そのタイミングがようやく今訪れたということなんですよ。それと、もともと僕はヴィジュアル系バンドをやっていたし、そのシーンの中で活動をしていたわけですけど、彼が「そのまんまの姿で参加して欲しい」と言ってくれたのも嬉しかったですね。自分のアイデンティティとして染みついたスタイルのまま受け入れてくれたからこそ、なおさら快諾したわけですからね。
須賀 Am Ampの場合、統一感を持たせるということよりも、メンバー全員のキャラクターが立っている形を求めていたというか、見えないところでしっかり統一感を持ってさえいれば、あとは各自の個性を思いきり発揮して欲しかった。それに相応しい役者たちが今、Am Ampには揃っていますから。