多くの人との出会いで形作られたアーティスト「ANZA」。彼女が長年夢に描いた理想の舞台作品完成に思うこととは
ヘビーロックバンドHEAD PHONES PRESIDENTのボーカリスト、そしてミュージカル女優として活躍するアーティスト・ANZAが、2022年で芸能生活30周年を迎えた。アイドルグループ・桜っ子クラブのメンバーとしてデビュー後、ミュージカル『セーラームーン』への出演などを経て、現在はHEAD PHONES PRESIDENTのボーカリスト、舞台女優と、二つの顔を持つという異色の経歴を持つANZA。近年はバンドの活動の中でヘビーロックミュージックとミュージカルの融合作品『STAND IN THE WORLD』(2016年)、『COLORS』(2021年)を発表。自身のキャリアの集大成を成すとともにロックと舞台の新たな可能性を示した。
今回は彼女にこれまでのユニークな経歴をたどったその経緯と、自身のキャリアから築き上げた理想のビジョン、そしてこれからの活動に向けた思いなどについて語ってもらった。
■コロナの感染拡大から3年が過ぎようとしていますが、コロナ禍においてHEAD PHONES PRESIDENTの現在の活動について、ANZAさん自身はどのようなことを考えられていましたか?
ANZA 自分のことより、メンバーの活動に対する気持ちを心配していました。HEAD PHONES PRESIDENTの活動は私1人じゃできないですし、今の私にとっては全てといえる活動だから。バンドの活動も今年で22年目というところまで来て、今さらこのバンドを無しにするなんてことは想像できないんです。
■一方でANZAさんはバンドとしての活動だけでなく、舞台の活動も活発に行われていますよね。
ANZA もともとバンドを始める前には、それ以前の自分のキャリアに封印をしていた時期もあって、ソロとして来た仕事は全部断っていた時期もあったんです。でもバンドの名前がこのシーン、メタルやロック、インディーズのシーンの中で定着してからは、ようやくANZAとしてのソロの活動も少しずつ行うようにしています。
■ANZAさんのバンド活動以前の活動にも興味がありますが、バンド以前におけるご自身のルーツを教えていただけますか?
ANZA 小さいころ、私は花屋さんになりたかったんです、フラワーアレンジメントとか。当時、従妹のお姉さんが結婚するということでお呼ばれしたんですが、会場ですごく大きなお花をアレンジしている綺麗なお姉さんがいたのを見て魅かれました。私たちは母と一緒に結婚式当日の朝からずっとそこにいたんですが、たくさんのお花が飾られていくその過程をずっと見ていました。それですごくフラワーアレンジメントのお仕事に興味を持ち「勉強してお花屋さんとして、アレンジャーとしてやっていくぞ!」と勝手に思っていたんです。
■そうだったんですね。
ANZA ところが知らない間に親が勝手に芸能事務所やモデル事務所なんかに、芸能のお仕事の応募をしていまして。(笑) 昔、長崎に住んでいたことがあったんですが、その頃、母親がアイモデル(目のヴィジュアルにスポットを当てたモデル)の活動をやっていて、モデルとか芸能の方面に進みたかったみたいでした。だから「自分は夢を諦めたけど、自分の娘に夢を託す」みたいな感じで親のステージママ振りが始まり(笑)、気がついたら雑誌の広告のモデルとか、自分の知らない間に合格して、仕事が来て、現場に行って「こういう写真を撮ってお衣裳着て」みたいな仕事の日々が子供の頃から始まったんです。
■なるほど。きっかけはお母様だったんですね。
ANZA その後、長崎から名古屋に引っ越したんですが、その頃もまだ本当はお花のアレンジメントの専門学校に行きたいと思って悩んでいたところ、ある日のCMの撮影現場に、私がのちに所属するスターダストプロモーションのマネージャーさんがいて、後から極秘でスカウトの連絡があったんです。「すごく興味があるから、一度東京に来てもらえないか?」って。その頃は個人的に東京にも興味があったから、軽い気持ちで「東京に行けるのなら一度くらい行ってみてもいいや」と簡単に考えていたんですが、その時点ですでに東京で活動することが決定し、堀越学園に行くことになり、自分の意思とは全然関係なく物事が進んでしまって……。気がついたら東京に出て来ていました。(笑) そして桜っ子クラブのメンバーとしてデビューしたんです。
■その後、ミュージカル『美少女戦士セーラームーン』へ出演されましたが、それにはどのようなきっかけがあったのでしょうか?
ANZA ある日、桜っ子クラブが出演する番組で、クラブのメンバーの中からミュージカルの出演者5人を選ぶことになったんですが、何も聞かされていない状態でスタジオに行き、そこで言われるがままに歌や踊りを見せて、気がついたら合格していた、みたいな。(笑) だから、特に希望したわけではなく、流れに合わせていたら選ばれていたという感じでした。
■それはそれですごいですね。
ANZA でもこの舞台を始めてからは、自分が表現する楽しさや、ステージをやり切った後にお客さんから拍手をいただく喜びを知りました。またその中でもお芝居より歌を表現している時がすごく楽しいと思いました。だから、後々は「歌が歌えるようになればいいなぁ」と、この時に初めて芸能界で活動する中で自分に夢ができたんです。
■ある意味ここでようやく表現者としてのスタートを切った感じだったんですね。
ANZA ただ、『セーラームーン』を卒業する頃には、次はアーティストとして「カワイイ系」ではなく「カッコいい系」に行きたいと思っていました。その頃、X JAPANのhideさんがhide with Spread Beaver名義で“ピンク スパイダー”をリリースされていたんですが、そのMVを見た時に衝撃を受けたんです。もともとうちの母親はビートルズとか、ボン・ジョヴィなんかが好きで、ロック音楽に触れることも多かったんですが、私自身はそれほど興味があったわけではありませんでした。でもhideさんの曲に触れた時に、初めて「この人みたいになりたい!カッコいい!」と思い始めたんです。対して所属事務所はもっとポップな路線を考えていて、私の思いは認められませんでした。でもその当時、今もお仕事を共にしているマネージャーと出会ったことがきっかけで、いろいろな相談に乗ってもらい、事務所から離れて一からスタートすることになりました。そして今まで積み上げてきた知名度や人気などに別れを告げて、桜っ子クラブの「大山アンザ」ではなく「ANZA」として再スタートを切ったんです。
■名前も変えて新たな道を選択されたわけですね。
ANZA 私の人生の中では大きな決断でした。イベントライブなんかがいつもソールドアウトしていたような人間が、いきなり新たにバンド名義の活動を始めて、ライブも3〜5人とかのお客さんの前でやっていたし。(笑) でもようやく自分のために活動ができるのが嬉しくて、とにかくライブハウスで自分のやりたい表現をやることに没頭していました。
■その頃HEAD PHONES PRESIDENTとして趣向としていたのは、どのような音楽だったのでしょうか?
ANZA 最初は結構ミクスチャーっぽい感じの音楽をやっていたんですが、どうしても何かが足りないと思っていました。例えば自分の中でネガティブな部分、人間的な部分を表現できるアーティストは世の中にいないと思っていて、ポジティブなことばっかり言っている歌詞は嘘くさいなと感じていたんです。でも、先ほど挙げたhideさんの歌う歌の歌詞には、みんながなかなか口に出せるものではないけど、頭の中にある生々しく強い思いのようなものが感じられて、すごく突き刺さってきました。だから、そんな人の内面にあるネガティブな面をテーマとしながらも、その中から光を目指す方向性を持つ、静と動のあるロックバンドを組みたいと思ったんです。
■なるほど。HEAD PHONES PRESIDENTを始める前のキャリアが今でも生きていると思うことはありますか?
ANZA アイドルとしての活動が生きてることは……根性かな。(笑) 今のバンドの活動に対して具体的にプラスαとなっている活動としては多分、舞台『セーラームーン』での経験の方が大きいでしょうね。HEAD PHONES PRESIDENTの表現には、私が今まで舞台出演した作品で培ってきたもので、まさに今までの積み重ねによる表現になっていると思います。