LACCO TOWER VANITYMIX WEB LIMITED INTERVIEW

松川ケイスケ(Vo)、細川大介(Gt)

「オールタイム・ベストアルバム」と銘打ったように、「LACCO TOWERの歴史を見せる」ことに意味がある。

結成20周年を記念し、LACCO TOWERが12月7日に、オールタイム・ベストアルバム『絶好(ぜっこう)』をリリース。本作はなんと4枚組、全50曲収録という超ボリューミーな作品。オールタイム・ベストアルバムとも記してあるように、本作はメジャー時代の作品及び、新曲3曲を含めた全部で26曲をDISC1&2へ収録。DISC3&4には、リレコーディングした4曲を含め、インディーズ時代の作品を全部で24曲収録。つまりこの4枚を聴くことでLACCO TOWERの20年間の歩みをつかめるということだ。本作について、松川ケイスケと細川大介の2人がインタビューに応じてくれた。

■LACCO TOWERが結成20周年を迎えました。松川さんは人生の半分をLACCO TOWERとして、細川さんも人生の1/4をLACCO TOWERのメンバーとして過ごしてきた形ですよね?

細川 僕自身、LACCO TOWERに加入してから、数えて今年が11年目なので、LACCO TOWERの20年を人生として捉えたらその半分という形にはなりますけど、それでも20年という歩みには同じように重みを感じています。僕はLACCO TOWERの3代目ギタリストですが、初代、2代目のギタリストたちの気持ちをしっかりと引き継いで活動を続けてきました。最近になって、ようやくLACCO TOWERの一員になれたような感覚があるというか。ある時期までは、後から加入したコンプレックスを抱きながら活動をしていましたが、今はちゃんとLACCO TOWERのメンバーの一員として活動ができています。

■一員になれた実感を得た経験や、きっかけなどもあったのでしょうか?

細川 そこは時間がそう仕向けてくれたことだと思いますね。当たり前ですけど、メンバーと一緒に過ごす時間が長くなるほどそれが当たり前になり、自分の役割が増すごとに自信も沸いていくので。メンバーからは、加入した時から「お前が一番目立っていい」、「LACCO TOWERのギターは大介なんだから」と言われ続けていて、すごくありがたい環境だと思っていました。自分自身が遠慮しがちな性格という理由もあったんでしょうね。最初のうちは後から加入した負い目も感じていましたけど、それも気づいたら克服していた感じでしたね。

■細川さんはLACCO TOWERとしての人生は10年ですけど、それだって結構長い月日ですよね。

細川 10年かぁ、確かにそうですよね。でもなんだかんだ言って、あっと言う間でもありました。自分の場合、LACCO TOWERが激動の時期に加入したので。一緒に歴史を作っていくというよりも、思いきり走り続けている船に飛び乗って、僕も必死にオールを漕ぎ続けてきたような感覚です。(笑) 最初から全力疾走状態だったといいますか、加入後の初ライブがワンマン公演で、あの時はいきなり20曲以上を覚えてのライブだったし、しかもLACCO TOWER自体が右肩上がりで「いくぞー!!」と駆け上がり続けるところに乗り込んだ感覚だったから、ゆっくりしている間もなく、必死に一緒に走り続けてきました。そんな日々を繰り返していたら、気づけば10年以上経っていたという感じです。

■松川さんはまさに人生の半分近くをLACCO TOWERとして歩んできましたね。

松川 確かに人生の半分をLACCO TOWERとして過ごしているんですよね。しかもLACCO TOWERは、僕が初めて真剣に取り組んだバンドで。そのバンドと一緒に20年間歩んできたように、今やLACCO TOWERは僕の人生そのものですからね。

■LACCO TOWERも音楽を通した人生も、今や日々の生活の中に当たり前に存在しているものという感覚でしょうか?

松川 そうですね。だからこそ常に気持ちを緩められないというか。例えばの話ですけど、恋人同士って、馴れ合いになった時が一番危ないというじゃないですか。当たり前だからこそ、気づけなくなってしまうことも出てきてしまう。そこに甘えが生じないようにと、いつも心がけています。

■先ほど細川さんが全力疾走と言っていましたけど、LACCO TOWER自体、激動の日々を走り続けてきたし、今も走り続けている感覚でしょうか?

松川 そうですね。大介が3代目のギタリストで、幾度かメンバーチェンジもありましたけど、幸い活動を止めることなく走り続けてこられたので、気がついたら20年間ずっと走り続けていたという感覚はあります。

細川 僕から見たら、常に激動の波ばかりで、その波を日々乗り越えようと戦い続けてきた感覚ですね。他のどのバンドよりも、その波と戦い、乗り越え続けてきた感覚がありますからね。

松川 確かに大介の言う通り、常に目の前に何かしらの問題が起こっていましたね……。だけどいつからか、「問題は起こるもの」として捉えていて、それにいつも真摯に向き合ってきました。さっき大介が新しい環境に慣れるまでには時間を要すると言っていましたけど、それはバンドにも言えることで、新しい事柄や環境が目の前に現れ、そこに馴染んでいくまでには相当の時間がかかる。だけど、そこに順応していくことで、以前の環境よりも進化した自分たちになれる。そういうことを繰り返しながら、LACCO TOWERはいい形で進化し続けてこられたと思っていますし、その環境さえも楽しめていたことも、結果的には良かったんでしょうね。

■「問題は起こるもの」として認識していく。その言葉を聞いて「なるほどなぁ」と感心しました。

松川 最近のことで言っても、僕が喉を壊してしまい、今回のツアーのうち何本かの公演を仕切り直しましたけど、その原因を作ってしまった当人は心の余裕なんてないんだけど、でも他のメンバーやスタッフを含めたLACCO TOWERのチームみんなが、僕の思いを真摯に受け止めてくれて、窮地さえも前向きに変換して、「問題ないよ、大丈夫だから」と励ましてくれる。僕自身も他のメンバーの誰かが落ち込むことがあったら、やっぱり「大丈夫だから」という言葉をかけ、一緒に目の前の問題を前向きに解決していくと思います。それくらいLACCO TOWERというチームが「一つの集合体というか、一つの生命体として活動しているんだ」という感覚がありますからね。

細川 僕もそれはすごく感じます。僕はLACCO TOWERとして10年間活動してきましたけど、そのうちの5年間は右手の病気との戦いでもあり、辛く、苦しい時期でもありました。その病気とも一人で向き合い、戦うのではなく、メンバーやスタッフみんなが一丸となって、一緒に僕と戦ってくれた。だからこそギターを左手にスイッチするという前向きな答えも出せたわけですからね。

■悩みや突然のアクシデントも含め、すべての思いをみんなで共有していける。その一体感を持ったファミリー感が、LACCO TOWERの最大の強みなんでしょうね。

細川 そうですね。だから自分たちで道を切り開いている実感も自負も強く持っています。細かいことかも知れませんけど、メンバーの体調や感情も日々気にしていますし、誰かの調子が悪かったら、他の人たちがサポートして引っ張り上げればいい。僕の調子が悪い時だって、みんながひっぱり上げてくれていたから。そういう意味でも、みんなで一緒にLACCO TOWERという人生を作り、歩んでいる感覚がとても強いです。それってまさに家族と同じですからね。

■LACCO TOWERはこの度、オールタイム・ベストアルバム『絶好(ぜっこう)』を発売しますが、4枚組というボリュームがすごいですよね。だけどそれくらいの枚数が必要だったということですよね?

松川 20周年を見据えた時から、そのタイミングでベスト盤を出そうとは考えていましたけど、我々はインディーズ時代も長かったので、LACCO TOWERの歩みをまとめあげるなら、インディーズ時代の音源も含めてベスト盤化したかったんです。それで「オールタイム・ベストアルバム」という名のもと、20年間の歩みを形にしようと動き始めました。その歩みを詰め込む上で、最初から4枚組にしようと動きだしたわけではなく、いろいろと動いていく中で、結果的に4枚組という形を取らせていただきました。

■選曲はどういう基準で進めたのでしょうか?

松川 軸となる選曲については、今のLACCO TOWERの楽曲の世界観を作りあげている大介と真一ジェットが中心になってまとめてくれました。基本的な選曲は2人にお願いして、2人がまとめあげた選曲や曲順を他のメンバーみんなで共有しながら話し合う。そこで出たメンバーみんなの思いを汲み取り、再び2人で練り上げてという作業を何回も繰り返し、結果的にインディーズ時代の楽曲を2枚に、メジャー時代の楽曲を2枚の中にまとめあげ、計4枚組として落ち着いた形です。まぁその中にもっと細かいいろんな思いもありますけどね。

■細川さんと真一ジェットさんとの間でもいろんなやりとりを繰り返していたわけですよね?

細川 そうでしたね。最初に僕が叩きとなる選曲リストを作り、それを真一に提案して。その上で「この曲はこっちじゃなくて、別の方がいい」など、まずは2人の考えを摺り合わせながら作り上げ、その上で他の3人に提示。そこで出たいろんな話を再び持ち帰り、真一と2人でまた練り上げ、それを3人にまた提示していくというやり取りを何度も繰り返し、ようやく今の形に落ち着きました。

■細川さんは最初の10年間はメンバーとしては参加していませんでしたが、その分、客観視して見られたという面もあったのでしょうか?

細川 客観視という視点はありましたけど、LACCO TOWERの場合、「LTS総選挙」と題して、LACCO TOWERの過去曲を含め、人気曲をファン投票で決めるというのを、毎年年末にやり続けているんです。そういう機会を通して、僕が加入する前の曲に触れることも当たり前のようにやってきました。それこそ、初代、2代目ギタリストの方々とは今も仲良くさせていただいているから、当時の思い出話についてもいろいろと聞いてきました。インディーズ時代の楽曲をセレクトした2枚に関しては、僕も楽曲の背景を知りつつ、その上で、客観視もしながら選べたところはありました。

■そうだったんですね。

細川 メジャー盤については、僕もメンバーの一員なので、どの曲にも深い思い入れを持った上での選曲になりましたけど。一つ心がけていたのが、僕一人の思いとして決して優先はしないこと。それ以上に、LACCO TOWERとしていろんな起点や転機になった曲たちを選ぶことを心がけ、インディーズ盤も含めて、LACCO TOWERというバンドの歩みを語る上で欠かせない曲たちを選びました。昨年3月に『闇夜に烏、雪に鷺』という完全限定生産した2枚組のアルバムも出していますが、これも過去曲たちを軸に集めた作品なので、ベスト盤といえば、そうも見えますけど、あの時はLACCO TOWERの楽曲を「白盤」、「黒盤」という2つの形に分けてセレクトして収録しています。つまりあの時は、LACCO TOWERの持つ音楽性のカラーを、白と黒2つの表情に分ける形で明確に提示したわけですけど、今回は「オールタイム・ベストアルバム」なので、「LACCO TOWERの歴史を見せる」ことに意味がある。だからこそ、LACCO TOWERの歴史の中で、ポイントとして欠かせない曲たちばかりを選んでいるんです。そこに大きな違いがあることも伝えておきます。

■LACCO TOWERの歩みには欠かせない曲たちというのがいいですね。

細川 「この曲があったから、LACCO TOWERはこういう風に進んでいけた」というような曲たちを中心に選びましたから。とくに曲順には時間をかけました。今はサブスクの時代で、聴いている一人一人が自分の好きなプレイリストを作って楽しめる時代だから、誰だって自由に自分好みのベスト盤を作れるわけじゃないですか。その時の自分の心境や、聴かせる相手に合わせてのベスト盤だって簡単に作れる。だからこそ、僕らは「LACCO TOWERとしての物語」を形作る上での選曲もそうだけど、4枚の盤ごとの振り分けも、その中での流れにも、かなり時間をかけました。それこそ「アルバムを出す意味」、「ライブを行う意味」、「LACCO TOWERとして生きる意味」など、深く深く考えた上で、全部で50曲をセレクトし、4枚それぞれに意味を持った流れを作り上げて収録しました。

■松川さん自身の選曲についての思いも聞かせてください。

松川 僕は2人には何も伝えなかったんですけど、実は自分なりにベスト盤の曲順の組み合わせを考えていました。その形と今回の4枚組の内容が、かなり近い形になっていました。インディーズ盤、メジャー盤ともに、「なんでこの曲が入っていないんだよ」とか、「なんでこの曲順なんだよ」という気持ちは全くなかったし、なんの違和感も覚えることなく「スーッ」と受け止めましたし、LACCO TOWERの名刺として相応しい4枚の作品が並んでいるなと思っています。