30周年を締めくくる祝祭と歓びの夜。
剥き出しの照明装置が青くぼんやり照らすのは、散らばった無数のおもちゃと無秩序な楽器たち。岩を削り出したような吉祥寺の地下、STAR PINE’S CAFEの中は揚げ物とアルコールの匂いが漂い、開演を待つ人のざわめきが満ちていた。12月1日(月)、『Pascals Big Pink Tour 2025 vol.8』2days初日。開演時間となり拍手の中でメンバーが続々と姿を現すも、バンドマスターのロケット・マツは「眼鏡忘れた」と楽屋へ戻っていく。ギターが倒れてみんなで悲鳴を上げたり、誰かが楽譜を忘れたり。全員が還暦を過ぎたバンドは、こういうトラブルもつきものだ。言葉はなく、音で語り合うが如く“さんぽ”で幕を開けたこの夜。知久寿焼が奏でるウクレレの囁きに、次第に他の楽器が絡み合い、ばらばらだった音の粒子が、ばらばらのままで集まって。ラムネの泡めいた原さとしのバンジョーが揺れ、永畑風人のソプラノサックスが高らかに歌えば、太鼓を叩く石川浩司が大きな笑みを作る。張り詰めた弦が擦れ、ガスホースが遠く鳴る“スカタリアンロジコ”に、マツが頭で鈴を叩いた“Am 8 beat”。鍵盤ハーモニカに呼応する弦楽器と、サングラスをかけた坂本弘道の手から生み出される電子の音色の激しさはオーガニックなパブリックイメージとはかけ離れているけれど、これこそが「パスカルズ」だ。ミニマムな伴奏の中、身体は躍動する。歓声に包まれたフィナーレに、マツは「ありがとっ、ふ~」と可愛らしく応えた。
そうしてカウントアップに始まるのは、映画「日日芸術」のメインテーマ“旗を立てる”。大竹サラとうつおが奏でるリコーダーは静寂に突き刺さり、合間に混じりこむ弦楽の音。松井亜由美のヴァイオリンはメロディへ牙を立てて食らいつき、不協和音の渦巻きは、やがていびつな行進曲へと集束していく。「あっ、どうもありがとうございます。パスカルズです」4曲を終えて挨拶したマツは、パスカルズがこの夏から秋にかけて、柄本明主演舞台「また本日も休診~山医者のうた~」の音楽を担当、生演奏も披露していたことを話すが、背後であかねが舞台のTシャツを広げていることには気づかない。そんなマツは、自称「長い間演劇に関わっていたので、ちょっと俳優っぽくなってきました」。しかし、いち観客の視点から見ている分には、普段通りのマツだった。ここからは舞台「また本日も休診」から劇伴を数曲披露。曲名もついておらず“金M15’(金井太郎作のナンバー15’)”、“マツM5(ロケット・マツ作のナンバー5)”などと称される曲が並ぶ。ギターの金井太郎が作曲したのは、ふわり、ふわりと音の花が蕾を開くようなワルツだ。あかねの奏でるトイピアノと弦楽との重なりが、遥か遠くからやってくるチェロの旋律と混ざり合って、音楽は膨らんでいく。ここでマツはスペシャルゲストとして「また本日も休診」から佐々木春香を呼び込む。「お芝居の影響かちゃんと喋れている」というMCが苦手なマツの語りをまとめると、佐々木は舞台の中で「喋るフクロウ」の役をやっていたそうだ。「お邪魔します、佐々木春香です。劇の中でフクロウが歌っていたので、その歌を歌います」そんな挨拶をして、佐々木は伸びやかな歌声を披露した。途中で曲調が大きく変わるメロディに、不思議で優しい詞。端正な横顔がパスカルズの音色を背負う。佐々木を送り出し、続くは「また本日も休診」のテーマ曲。ステージから1段下がった場所にあるピアノの前に潜り込んだマツが鍵盤へ指を滑らせると、ひとつひとつの感触が違う、倍音あふれる音色が溢れ出す。対照的に伸びるのは、あかねのまっすぐした鍵盤ハーモニカ。バンジョーは明るい光を呼びこんで、石川は豚のおもちゃをフガフガ鳴らす。美しいメロディと幽幻のハーモニーが入り混じる、まさに坂本らしい楽曲だった。そうして作曲では優しい旋律を送り出すも、チェロを抱き上げた坂本の前衛的なソロは雷鳴の如く響き渡る。短いソロを経て、前半は揺りかごを撫でる手に似た繊細な堀口紗与のヴァイオリンと、ハイヒールのステップを思わせる芯の通った松井のヴァイオリンの音色がさえずる“ひよ鳥のテーマ”で幕を下ろした。

短い休憩を挟み、「じゃ、行きます」の声と共に、緊張感張り詰める“前奏曲”で幕を開けた後半。静寂に湧き上がる音と、縦横も曖昧な楽想は、音楽の快楽に飲み込まれていく。ふたつの鍵盤ハーモニカが硬く重なり合うのは“貝のみみ”。トイピアノの音は上空から幻めいて響き、チェロと弦楽器のアルペジオは地を歩む。石川が鎖を鳴らす中、チェロのリフレインから起き上がるのは“蝶”。音源では柔らかなこの曲も、ライブでは迫力満点だ。ひたむきに羽ばたき続けるリコーダー、音を振り絞るソプラノサックス。そこで壁に肩を預け、ゆっくり立ち上がるのは原だ。音の洪水の中から舞い踊る縦横無尽のソロをいとも簡単に弾きこなす達人芸に、観客はうっとり聴き入る。「ありがとうございました。一部で紹介し忘れたけど、ゲストの菅原雄大くんです」ちょっとだけ言わなくてもいいことを言いながら、チェリストの菅原雄大を紹介するマツ。菅原が着ているのは舞台「また本日も休診」の幕にそっくりなシャツだった。そんな菅原の優しいチェロの音色に包まれて、知久が“6月の雨の夜、チルチルミチルは”を歌い出す。みずから死へ向かうふたりへ手向ける曲は、寂しくもどこか祝福の音に似て、バンジョーは雨の夜の水たまりに跳ね、波紋を作る。叩き割る勢いで鳴らされるシンバル、感傷的にならず歌う声。雨の夜の世界と夜明けの寂しさが、そこに作られていった。続けて、パスカルズは作曲以来欠かさず演奏されてきた定番曲“Taking Dog Fields”をドロップ。軽やかな低音がウクレレの音色を粒立たせ、金井のまろやかなギターソロが壮大な風景に駆け渡る中で、競い合うのは横澤龍太郎と石川の打楽器だ。マツの雄たけびと鍵盤ハーモニカのソロは、このメンバーだけが作る音楽の輝きそのもの。拍手の中で後に続くのは“リボン4拍子”。力強い弦楽の響きと混じり合うおもちゃの音は固定観念を叩き壊し、そこにエレクトリック・チェロのソロが煌めきに満ちた旋風を巻き起こす。その雄大な音色を、オーディエンスは大歓声で讃えた。「なんか今日はよく喋れて、ゲストもちゃんと紹介できました」ライブ後半になりほっとした様子のマツは、今年の活動を振り返りながら、ややたどたどしくもグッズを紹介。7月に行われたフリーコンサートにも触れ、その際に発行した30周年記念文集について「30周年記念なので、できれば今年中に買っていただけたら……」と話す。CDと比べかさ張る(マツ談)文集の在庫は切実な問題になっている。ライブ終盤、夢見るトイピアノとトライアングルの音色がたゆたう中で、“訳もなく”の祈りの詩を歌い綴るあかね。最後の曲には、パスカルズのメンバーそれぞれが歩むばらばらの道と音色とを音楽が繋ぎ止める“ガタタンロード”があたたかく会場を包んだ。
14人の大所帯バンドは、メンバーが退場しきらないうちからアンコールの手拍子が鳴り響く。すぐに呼び戻されたマツは、全員揃わないうちから目についた順にメンバー紹介を開始。案の定というか、予想通りというか、紹介を忘れられてしまったひとり──石川はセルフで自分の名前を叫び、バンドマスターのマツへ拍手を贈る。そこでマツは、いつものライブではいつの間にやら5度ほども着替えている原が、今日に限って一度しか着替えていないことに触れた。石川は「着替えのない原くんなんてクリープのないコーヒーのようだ!」とたとえるも、観客からは微妙な反応。ちなみに原は「芝居中の生演奏じゃ、まさか着替えないだろう」と思われていたが、ちゃっかり帽子を変えていたとのことだ。今回の舞台「また本日も休診」にあわせた生演奏は、パスカルズにとってもさまざまな面で貴重な経験となったらしい。マツは「いつもライブ時間になってもどこかに行ってしまっていて、みんなで探し回ったりもする龍ちゃん(横澤)が自分の前を歩いていて、あの光景は一生忘れないだろうなと思った」そうだ。裏話によると、横澤のこの「癖」は舞台側の関係者にも心配されていたが、蓋を開けてみれば横澤は誰より率先して劇場に向かっては「遅れるぞ!」とメンバーを鼓舞し、みんなを驚かせたという。アンコール1曲目は、NHK ドラマ「ひとりでしにたい」から“鳴海のテーマ”。ぐっと息を呑むほど詩情にあふれるピアノが眩く星を散らし、そこから口琴と鳥の笛が歌い踊る色鮮やかなマーチが始まる。2曲目はウクレレの弾き語りから全員が歌声を重ねる“ハートランド”となった。再度のアンコールに呼ばれ、いそいそ出てきたパスカルズは、舞台上で「何やる?」と話し合う。意見は“のはら”か“ダニエル”でぱっくり二分。知久は「じゃあ半分ずつ演奏するか!」と言い出した。マツは金井の指の痛みを気にしつつ、金井が「なんとかごまかす」というので、ギターソロがある“ダニエル”へ。「やらないと思っていたから楽譜がない……あった!」と探すメンバーもいる中、1日目はしっとりと哀愁のメロディで幕を閉じた。

公演2日目、この日も満員のSTAR PINE’S CAFE。椅子や楽器、譜面台を掻き分けゆっくり入場したパスカルズはチューニングの音におもちゃで応えて笑いつつ、ピリリと引き締まった“Farewell Song”からライブをスタート。エレクトリックチェロが作り出す絢爛な音色は次第に一塊となり、異国風の行進が始まった。一瞬、静寂に包まれれば、バンジョーのハーモニクスがきらりと光る。黒いハットを被り、カントリーなファッションに身を包んだ原はソロを奏でつつステージの中心に歩み出て、「Pascals Big Pink Tour 2025 vol.8!」と叫ぶ。それに対し、メンバーの反応は「で?」というもの。原はちょっときょろきょろしたあと、「30周年イヤー、ラストライブ・イン・STAR PINE’S CAFE~!」と追加して事なきを得た。華やかなフィナーレを椅子からのジャンプで〆て、続く“希求”はギターのストロークに口琴が絡み歌う。楽譜の上で雄弁に語るのは松井のソロ。横澤と石川の打楽器群が三拍子の広大さを形作る中で、スパイスとなるのは知久のカズーだ。「どうもパスカルズです。どうぞごゆっくり。あの、昨日は喋るの調子良かったけど、今日は調子良くないみたいです……」“ひよ鳥のテーマ”を終えて挨拶したマツは、昨日と同じく、やっぱりいつものマツに見えた。観客から笑いが起こる中、この日もパスカルズは「また本日も休診」から数曲を披露。昨日はゲストが歌ったマツの曲も、オフヴォーカルになると印象が変わる。坂本の手元から轟音が鳴り響き、壊れたユニゾンが曲をつまずかせても、音楽は鳴り止まない。後半はあかねが歌い、少し掠れた薄雲のような声に知久が寄り添った。「トイレに行ってくる」ことをメンバーがわざわざ耳打ちしたのに盛大に話してしまったり、ゲストの菅原を紹介したあと喋ることがなくなって沈黙したり。そんなマツのMCが、結構みんな、大好きだ。「また本日も休診」のテーマを終えると、坂本がチェロを寝かせ、鉛筆を叩きつけるパフォーマンスを披露する。散乱し、弦やボディに当たって跳ね返っては、硬質な木の音を響かせる三菱のB。拾い上げたチェロの弦を擦ると、異様な音波が会場いっぱいに流れ込む。
轟音に包まれた会場。それを掻き消すのは、深く澄んだリコーダーの音色が作る“マボロシ”の反響だった。余韻の中で歌う鍵盤ハーモニカの遊泳に、潜航していくトランペットの曇ったメロディ。聴いたことがないドラムとシンバルの幻想──そんなすべてを打ち壊す、戸惑うほどのピアノ。マツの指は鍵盤を叩いているはずなのに、その遥か向こうへ突き抜け、霊感で鋼鉄の線を愛撫する。ピアノとは木と鉄との集まりだ。そんな「当たり前」を音で突きつけられる感動に打ち震える中、石川は鎖を鳴らしながら客席を練り歩き、舞台と呼応する。最後は鯨の歌めいたチェロとヴァイオリンの重奏をウインドチャイムが祝福した。昨日と同じく、のんびり始まった後半。“前奏曲”のあと、次の曲に繋げようとオモチャを吹き鳴らしていたメンバーは、マツが立ち上がり楽屋へ消えていくのを不思議そうに見送る。戻って来たマツが手にしていたのはマンドリン。客席に笑いが広がる中、“かもめ”がその翼を広げた。内に情感を押し留める冷たいヴァイオリンの四重奏に、仄かな音を添えるバンジョー。弦楽器はそれぞれの弦を打ち付けて、トイピアノは絵空事を描く。その全てが狂乱的な激情の波濤に飲み込まれていく様は、自由を求めもがく鳥がぼろぼろに羽を散らしていく様に思えた。「パスカルズとしては今年最後のライブなのでちゃんとしようと思って、ちゃんと曲順を考えてたんですけど、マンドリンを楽屋に忘れちゃいました。曲順も(舞台演劇の)演出家に頼んでみようかな……」怒涛の“かもめ”を終えても、マツはいつも通り。そのあとの“326”は久々の披露となったが、冒頭でイントロを奏でる全員がそれぞれ少しずつタイミングを間違えるというとんでもないミスが発生し、ヴォーカルの知久がやりなおしを宣言した。「誰に合わせれば怒られないかな~って思った」と言って笑いを誘い、「もう間違えられないぞ」と囁く知久。切なく仄かな温もりを持つこの曲も、このときばかりはスリリングな1曲となった。

“Taking Dog Fields”を終え、“旗を立てる”では坂本のグラインダーを使った火花パフォーマンスで辺りに工事現場のような臭いが立ち込めて。“6月の雨の夜、チルチルミチルは”に、続く“リボン4拍子”で、お尻とお尻をぶつけ合うマツと石川。この間に坂本のチェロのエンドピンが「削りすぎて」折れ、頭を掻いたマツは「今年最後のライブだからいろんなことが起こる」の一言。エンドピンは折れてしまったが、大丈夫かと聞かれれば、14人と楽器たちとが作るごちゃごちゃした舞台の中に、親指を突き立てたグーサインが見えた。終わりに近づくライブで、ギターが奏でるのは“野のなななのか”のうたかたの前奏。菅原の柔和な音色と相まった旋律は、決して届かない彼方の幸福へ向かって手を伸ばす。早鐘を打つ鼓動に似て迫り来るドラム。それを受け取ったあかねは、決意を露わに強く強く歌う。聴くものすべてが息をのみ、曲が終わったあとの拍手が遅れる、壮絶な歌唱だった。“ガタタンロード”で本編を終え、すぐアンコールに戻ったパスカルズは“鳴海のテーマ”を披露。2曲目には胸躍る“のはら”が選ばれた。風が吹く若草の野原を踊り駆け抜けていくパスカルズ。石川はオモチャのラッパを吹き鳴らし、紗与と松井は手を取り合うようにヴァイオリンを歌わせる。この日はメンバー全員忘れる事なく紹介し、長年音響を担当する小俣佳久も讃えたマツ。2度目のアンコールではたった2日の間に起こったありとあらゆる失敗を挙げ、「いろいろあったけど、今年を象徴するようなライブだったと思います」と笑った。そうしてパスカルズは、“ハートランド”で2daysを締めくくる。このライブハウスの外がどんなに理不尽で冷たい世界でも、明日が来るのも恐ろしい今日でも、ここには確かなしあわせがあった。だから人はこのバンドに惹きつけられて、このバンドを愛するのだろう。終わっていくしあわせの中で、メンバーと観客は新しいしあわせが訪れることを祈る。でこぼこの歌声と音程とを重ねて、この日の夜も更けていく。「どうもありがとうございました、パスカルズでした!」感動的な台詞はいらない。失敗も成功も、すべては「生」のものゆえだ。ただひたすらに音楽の歓びと笑顔とに満たされて、14人と観客たちとはそれぞれの日々へ戻って行った。
Text:安藤さやか
Photo:サカイユウゴ
パスカルズ『Pascals Big Pink Tour 2025 vol.8』@STAR PINE’S CAFE セットリスト
サポートゲスト:菅原雄大(チェロ)
■1日目
01.さんぽ
02.スカタリアンロジコ
03.Am 8 beat
04.映画『日日芸術』より 旗を立てる
05.舞台『また本日も休診』より M15’
06.舞台『また本日も休診』より M5/ゲスト:佐々木春香
07.舞台『また本日も休診』より M11/ゲスト:佐々木春香
08.舞台『また本日も休診』より テーマ曲
09.坂本ソロ~ひよ鳥のテーマ
10. 舞台『また本日も休診』より 前奏曲
11.貝のみみ
12.蝶
13.6月の雨の夜、チルチルミチルは
14.Taking Dog Fields
15.リボン4拍子
16.映画『日日芸術』より 訳もなく
17.映画『野のなななのか』より ガタタンロード
ENCORE
01.ドラマ『ひとりでしにたい』より 鳴海のテーマ
02.ハートランド
03.ダニエル
■2日目
01.Farewell Song
02.希求
03.ひよ鳥のテーマ
04.舞台『また本日も休診』より M13
05.舞台『また本日も休診』より M15’
06.舞台『また本日も休診』より M11
07.舞台『また本日も休診』より テーマ曲
08.坂本弘道ソロ~マボロシ
09.舞台『また本日も休診』より 前奏曲
10.かもめ
11.326
12.Taking Dog Fields
13.映画『日日芸術』より 旗を立てる
14.6月の雨の夜、チルチルミチルは
15.リボン4拍子
16.映画『野のなななのか』より 野のなななのか
17.映画『野のなななのか』より ガタタンロード
ENCORE
01.ドラマ『ひとりでしにたい』より 鳴海のテーマ
02.のはら
03.ハートランド


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