プロデューサー思考で作り上げたシティポップカバーアルバム。時代を越え愛されるシティポップの魅力を語る。
さかいゆうがカバーアルバム『CITY POP LOVERS』をリリース。本作にはさかいが影響を受けてきた70年代、80年代のシティポップの名曲をorigami PRODUCTIONSの面々とともにカバーした全10曲が収録されている。原曲の魅力を引き継ぎつつ、さかいゆうとorigami PRODUCTIONSの特長が存分に詰まった1作となっている。
今回はさかいゆう本人にインタビューを敢行。シティポップの魅力やそれらが持つ力、またそれを踏まえた上での今作の制作について話を訊いた。
■今回はどうしてシティポップのカバーアルバムを作ろうと考えたんですか?
さかい カバーアルバムは元々作りたくて、タイミングをうかがっていたんですよ。オリジナルアルバムをここ数年間で出せていたので、次はライブアルバムかカバーアルバムかなって思って。自分が好きな音楽とか、ミュージシャンとして影響を受けた邦楽ってなると、結構シティポップの曲が多いなって思って、今回はシティポップにしました。まぁタイトルについては「私はシティポップじゃないわよ」って怒られそうでちょっと躊躇したんですけど、言葉って限定するものだから。自分はこの時代のこの音楽の愛好家なので、「シティポップラバーズ」っていうのは嘘じゃないなと思って、最終的にはシティポップっていう言葉を使っています。シティポップって、仕事を頑張っている都会の人たちに向けて書いたわけじゃないとは思うんだけど、結果的にそうなった音楽だなって思うんです。昼間に意味とか正義とか答えもない世界で戦って家に帰ってきた時に、ポリティカルな音楽を聴ける人もいれば、そうじゃない人もいる。シティポップって癒してくれる音楽だと思うんですよ。キャッチーなサビと気持ちのいいハーモニー、ずっと聴いていられるリズムがあって、人の気持ちを盛り上げてくれるけど、かといってハードロックみたいに異次元まで連れていくようなエネルギーとかではなく、どんなに早い曲でも早歩きくらいの、なんとも言えないスピード感の音楽たちだと思うんです。それが日本経済が伸びていった時代の競争社会に生きた人たちの癒しになってくれた音楽だなって思ったら、シティポップっていう言葉もただのおしゃれな音楽っていうイメージから逸脱して、意味を帯びたジャンルなのかなって思ってきたりして。そういう背景とか思いがあってこのネーミングにしました。
■さかいさん自身はシティポップにどんな影響を受けてきたんですか?
さかい 僕は大人になってから聴きましたね。シンガーソングライターだったら山下達郎さんとかユーミンさん、ドラムをやっていたら林立夫さんとか、ギターだったら鈴木茂さんとか、音楽をやっていたら結局そういう源流に行きつくというか。でも彼らは彼らで源流ではなく、彼らが影響を受けたエルヴィス・プレスリーとか、ブルース、ロックンロール、アメリカンポップス、ファンク、ソウルみたいなのがあって。でもシティポップって日本人にしか作れない洋楽だなって思うし、見事に日本人のいいところが出ているものだなって思うんですよね。日本人って本場のインドカレーじゃなくて、日本人に適したカレーを作るじゃないですか。古くは鉄砲伝来から、伝わってきたものを分解して、同じものや性能の高いものを作ってきた。柔軟にアレンジして自分たちの口に合うものを作る天性の感性があるのかなって思うんですよね。シティポップってフォーマットは完全に洋楽なんですけど、日本語で歌われていて、日本人っぽくアレンジされていて、民族の誇りと柔軟性が両方同時にある。これが完全な和楽だったとしたら、こんなに海外でブームにはなっていないですから。
■さかいさんにとってシティポップはどういう存在ですか?
さかい 考えなくても聴ける、すごく感動を運んでくれる音楽です。誰でも心地よく聴けて、よく聴くと感心させられることがたくさんある。こういうのって作る側に技術がないと生み出せないし、芸術的な職人芸で作られる音楽なので、すごい特殊だと思うんですよね。達郎さんが聴いた音楽とかまりやさんが聴いていた音楽を掘り起こすと、まりやさんだったらポール・アンカとか、コニー・フランシスとか、達郎さんだったらカーティス・メイフィールドとか。大滝詠一さんだったらエルヴィス・プレスリーに影響を受けてあのスタイルになったんだとか、そういう冒険ができるじゃないですか。でもそれを見事に意味とかに疲れさせずに感動させてくれる音楽を作るのってすごい技術がいりますよね。1個1個意図的なものを積み上げないとできない音楽だと思いますね。
■それをカバーすることは、すごく難しさがあったのではないでしょうか?
さかい 自分が吸収してきたものを公開するような側面もあるので、ある意味オリジナルを作るよりもよっぽどプレッシャーはありましたけど。でもそんなことを考えていたら何もできないから。とりあえず自分ができるのは、真心を込めて一生懸命完成させること。最後まで手を抜かない。それの連続だと思いますね、シティポップの制作作業っていうのは。
■シティポップと言っても様々な楽曲がある中で、今回この10曲を選んだのはどうしてだったんですか?
さかい 単純に好きだっていう曲もありますが、選曲にはそれぞれいろんな意図とか決意があったりします。
■今回はお1人ではなく、origami PRODUCTIONSのみなさんとともに作られていますよね。
さかい 元からorigami PRODUCTIONSとは何かを一緒にやりたくて。カバーアルバムはお互いが客観性を持って臨みやすいプロジェクトだなと思ったので、すごくよかった。歌っているのは僕だし、根本的なところを決めているのは僕ですけど、一緒に作り上げた感じです。
■演奏のコラボだけでなく、プロデューサーもそれぞれ別の方が担当されているんですね。
さかい そうですね。だからそれぞれの色が出て面白かったです。「ちょっとイメージと違うな」と思ったら、正直に話し合ったりして作りました。モヤモヤしたまま完成させても、最終的に愛してあげられなかったら、作品としてかわいそうですからね。origami PRODUCTIONSが入ることによってさかいゆうの色が半分になるんじゃなくて、お互いが掛け算になるように願いながら作っていきました。
■作っていくにあたって、どういうものを目指したいといったイメージはあったんですか?
さかい 僕はその時その時に一生懸命にベストを尽くすこと以外はあんまり考えられないですね。だから1個1個の点を頑張る、そして太くしていくっていう感じかもしれないです。ただこのカバーアルバムは時代背景に関係なく、「10年後も自分がこのアルバムを愛してあげられるように」っていう気持ちで作っていました。
■それは制作中に関しても、完成系を見据えて作るというよりは、その時に作っているものに取り組んでいくという積み重ねだったんですか?
さかい 全体のバランス感覚でアレンジを変えることはありますけどね。“やさしさに包まれたなら”はあのままのリズムでいくと、このアルバムにバラードが1曲もなくなるなと思って。バラードまではいかなくても、スローなもので締めくくりたいと思っていたんです。ユーミンさんの曲はすごくテンポも含めて、その歌詞にあったアレンジが考えられていると思うんだけど、それをグーっとストレッチして、「このテンポでこの言葉たちを歌うとどんな気分になるんだろう?」っていう実験も兼ねていて。だからすごいテンポを落として、でもビートはちゃんとノックさせてというアレンジにしました。遅い曲ほどビート感が大事なので、これは絶対mabanuaだなと思って、mabanuaにお願いしました。
■どの楽曲も原曲の持つ良さはもちろん、origami PRODUCTIONSの魅力もすごく出ていますよね。
さかい それはすごく嬉しいですね。自分がやった甲斐があったなって。みんなにとっていいプロジェクトであるに越したはことないので。
■演奏ももちろんですが、音の良さにも感激しました。
さかい 音のやり取りに一番時間がかかりますからね。やっぱり理由がないから。「それじゃ駄目だからやり直して」って言っているだけなので、エンジニアさんはそういう要求に応えたり、逆に要求を振り払ったり、曲を成仏させるためにすごい職人技と芸術的な視点を要求される職業だなって感じましたね。
■演奏するにあたって、自分たちらしさを曲に落とし込もうということは考えられるんですか?
さかい 僕はいつもそれは考えないかな。他の人は考えているのかもしれないですけど。「このフレーズを弾くのは自分だ」みたいな、マーキングみたいに弾く人もいるんですよ。それはライブではいいけど、レコーディングで無理やりやるのもなと思っていて。自分ではそれはやらないようにしています。
■カバーするにあたって、再度楽曲に向き合ってみて改めて「自分はこういう部分に影響を受けているんだ」みたいなことを再確認する場にもなりましたか?
さかい そうですね。自分は歌とか音楽への向き合い方がプロデューサー気質なんだなと思いました。さかいゆうというプロデューサーがいて、「こういう風に歌いなさい」ってボーカリストさかいゆうを雇っている感じがします。「自分の歌を聴いてくれ」みたいなのはないんだなと思いましたね。オリジナルアルバムだったら自分で歌詞を書いたりしているので、その思いも多少よぎるんですけど、それでもほとんどないですもんね。その曲が一番欲している声とピアノとアレンジで作ろうとしています。それってプロデューサーの発想だなって思いますね。
■結構冷静な考えというか。
さかい 冷静なんですかね。歌声は女性らしいというかユニセックスな感じだってよく言われるんですけど、向き合い方はとても男性的なんでしょうね。情念みたいな、客観性とか論理性を超えたものがある女性の歌には勝てないなって思うこともありますし。僕は「この声で歌われて欲しいな」って思っているから、その声を出しているっていう感じで。いつもそうやって臨んでいます。ちょっとずつキャリアを積んで、自分の深みみたいなものが、気づかないうちに増えてきているのかなって思います。それと老化との戦いなんだろうなって思いますね。自分のことがやっとわかってきた時にはもう昔のように歌えなくなっていたりとか。ある意味アスリートと変わらないですからね、ミュージシャンは。