いま、ここにいる私を未来の私が認めるための歌。
管楽の響きが消えて、どこか不穏な音色に包まれる日本武道館。掲げられた国旗が見下ろすのは沈黙した楽器たち。やがて全ての照明が消え、夕闇の明かりにステージが浮かび上がると、柔らかいピアノの旋律とともに、ピンスポットで塩塚モエカの姿が照らし出された。羊文学が10月10日(金)、『Hitsujibungaku Asia Tour 2025 “いま、ここ (Right now, right here.)”』ファイナル公演を日本武道館で開催した。今公演は、過去最大規模となったアジアツアーの千秋楽。9月の大阪城ホール公演を皮切りにアジア各所を巡ってきた羊文学は、この日本武道館2daysでひとときの旅を終える。轟音の中、逆光に輪郭をぼやかしながら“そのとき”で幕を開けたステージは、さざ波の如き拍手の中、白熱灯めいた光の中で“Feel”へ。黒に身を包んだモエカと河西ゆりかが左右のスクリーンに映し出され、会場にはきらきらした粒が散る。

曲ごとにイメージカラーがふられ、美しいライティングも印象的だったこの舞台。シャープなリフに誘われて、張りが良いベースの音色が下腹に響く“電波の街”、巧みなカメラワークが切り取“Addiction”に、スリーピースバンドのさまざまな表情を見せていく“いとおしい日々”。水底に沈んだようなライトが揺らめく“つづく”では、落下するコーラスと浮遊する歌声とが絡む。あどけないギターソロに始まって、泡沫のコーラスがはじけ飛ぶ“マヨイガ”の、強い祈りが込もったサビは、今この瞬間を愛し、歌声を浴びながら生きている観客の身体に浸み込んでいく。8曲目の“声”を終えて、モエカは「みんな、今日は来てくれてありがとう」と笑顔。そのまま曲の合間に輝く色とりどりのライトを眺め、「本当に武道館、キレイです」と讃える。「10月8日にリリースしたニューアルバム、聴きました?」との問いには拍手と歓声が応えるも、「まだちょっと聴いていない人がいるみたいですね~」なんて冗談を返したモエカ。次の曲は、ニューアルバム『D o n’ t L a u g h I t O f f』から“ランナー”だ。のんびりとしたMCとは対照的な、浮かび上がって疾走する、しかしグラマラスなヴォーカル。モエカの大きな瞳が観客を見回すと、そのまぶたのラメが輝く。

はにかんで曲を終えると、天井から円形のライトが降りてくる。会場を乱舞するライトが彩った“OOPARTS”に、光がステージの上で編み上げられて羊文学を閉じ込めた“mother”。対照的な演出の2曲を過ぎれば、光の中にミラーボールが降下する。そこから散らばる光は、“夜を越えて”でスクリーンの中のメンバーを花吹雪に包んだ。紫色のスモークが湧き上がる中、再び上昇していく舞台装置に、ステージへと降り注ぐ光の雨。“Burning”の激しいドラムの中、モエカの鋭い瞳は観客を睨め上げる。4カウントで再び降下する舞台装置に、赤い煙が燃え上がる“more than words”では、イントロの瞬間に歓声が沸き上がった。伸びやかに解き放たれるヴォーカルは、高い天井を突き抜けるほど。一転してポップな“mild days”で、モエカとゆりかはコーラスを重ね、オーディエンスは身体を揺らしてそのハーモニーに身を任せる。

「みんな調子はどうですか?このツアーも本当に本当に終盤ですね」15曲を終え、モエカはサポートドラマーのYUNAを紹介。そして「みんなの声も聞いてみたいです。『一斉に』って言ったら『GO!』って言うんだよ。チャンスは4回くらいしかないからね!」と“GO!!!”へ。明るく元気な「GO!」の大合唱が武道館中に響き渡り、モエカとゆりかは微笑みながらドラムソロに踊る。淡く薄いサウンドの薄衣を纏って始まる“未来地図2025”が轟音の中に包まれれば、ライブは本編最後の曲“砂漠のきみへ”に。月かも太陽かもわからない強い光が照らすステージは深い影が落ち、ゆりかのコーラスはオアシスに湧き出す水のように透明だ。青さに包まれて行く武道館で、高らかなギターソロが鼓膜に焼き付いた。

アンコールを受けて静かにステージへと戻った3人は、舞台装置も剥き出しに“春の嵐”をドロップ。シンプルな演出は却って背景のカーテンをも楽曲の世界観に引きずり込み、スクリーンに映るメンバーはセピアに切り取られる。「アンコールありがとうございます。ツアーもあと1曲で終わります」モエカのその台詞には、「やだー!」と声が上がる。少し笑ってモエカは言葉を続けた。「『いま、ここ』というツアータイトルは、いろんなところに行くという意味でもあるんですけど、そこにいる自分を『ここにいていいんだ』と肯定できるように、とつけました。でもあいかわらず、自分がここにいていいのかどうかがわかりません。ただ、いつか振り返った時、生きていて良かったと思える今日であったとしたら、それは無駄なことじゃなかったんだと思います。今日はありがとうございました。メンバーふたりもありがとう」湧き起こる拍手に、ゆりかも続く。「バンドって音楽じゃないものがいっぱいあって、生きものなんだよね。負の感情を出せるのもバンドだと思っていて、それが羊文学です」そんなネガティブともとらえられる発言に「イェイ!」と拳を突き上げるファン。

あまりにポジティブすぎるその反応に、モエカとゆりかは吹き出す。「みんな今日はありがとう!」そうしてラストナンバーには、「みんなの明日からの良い日を祈って」と、“光るとき”が選ばれた。物憂げな希望と優しい寂しさとを美しい語彙で紡ぎ上げ、スリーピースのストイックなサウンドになめらかな歌声をのせる、羊文学の真骨頂。プリズムの煌めきと、光線が作る無数の連なりが花となって躍る中、バンドは明日へ、未来へと羽ばたく。輝きと轟音の中、飛び跳ねて最後のコードをかき消した羊文学。緊張から解き放たれたメンバーたちは、笑顔で手を振り、おどけあって、ステージを去っていった。目前に迫る欧州ツアーへ、そしてその先へ。羊文学の「いま、ここ」は、いつまでも続いていく。
Text:安藤さやか
Photo:三浦大輝、信岡麻美
『Hitsujibungaku Asia Tour 2025 “いま、ここ (Right now, right here.)”』@日本武道館 セットリスト
01. そのとき
02. Feel
03. 電波の街
04. Addiction
05. いとおしい日々
06. つづく
07. マヨイガ
08. 声
09. ランナー
10. OOPARTS
11. mother
12. 夜を越えて
13. Burning
14. more than words
15. mild days
16. GO!!!
17. 未来地図2025
18. 砂漠のきみへ
ENCORE
01. 春の嵐
02. 光るとき