Lead VANITYMIX WEB LIMITED INTERVIEW

Lead『Lead the Best “導標”』

Leadはファンの人たちにリードしてもらってきた、そんな20年だったかなと思う。

Lead初のベストアルバム『Lead the Best “導標”』が完成した。2002年にデビューし、止まることなく走り続けて、ついに20周年を迎えたLeadの道のりが詰まった今作には、デビュー曲“真夏のMagic”から、34thシングル“Sonic Boom”までの両A面曲を含む全37作のシングル曲と、新曲“導標”が収録されている。鍵本輝が手がけた“導標”には、これまでにリリースしてきた36曲のシングルのタイトルがその時期の思い出とともに詰まっており、まさにベストアルバムの最後を飾るにふさわしい楽曲となっている。本インタビューでは、20周年を迎えたメンバー、谷内伸也、古屋敬多、鍵本輝の3人に、新曲を含めた38曲が揃ったアルバム『Lead the Best “導標”』を手掛かりに、20年の道のりとターニングポイントを振り返ってもらった。

■ベストアルバムの制作やアニバーサリーライブに向けて、この20年を振り返る機会も多いと思います。振り返ってみていかがですか?

谷内 やっぱりいろんな時期があったなというか。若い時にデビューしているので、中学と高校、20歳になってと、その時代ごとで浮き沈みといいますか、いろんなことがあって。いいことも悪いことも含めて今があるなっていうのは改めて感じます。

古屋 なんだろう……言葉にできないですね。でも、ほぼ人生みたいなものなので。デビュー当時は事務所に押し上げてもらって浮かれていた時もあれば、ちょっと挫折とか、誰かと比べたり比べられたりっていうことに直面して落ち込んだり、腐りそうになった時もあって。それでも誰かに助けてもらったりとかして、「もう一回頑張ろう」って思ったり。なんか本当に人生だなと思いますね。

■今までの人生でLeadでいる時間の方が長いわけですもんね。

鍵本 人生の3分の2はLeadでいますからね。僕らに限ったことではないと思うんですけど、シングルを出したり、ライブ活動をしている人たちって、基本的に追いかける人生だと思っていて。例えば、「7月31日にCDを発売します」っていうのがあった時に、その日に向かってプロジェクトを進めていったりとかするじゃないですか。夢とか目標を常に追いかけてきたので、「あっという間だったな」っていうのが率直な感想ですね。でも、「ああいうこともあったね」ってひとつずつ思い返していくと、長かったなとも感じます。それこそ“導標”のMVもYouTubeで公開されたんですけど、その映像を見たファンの方が、「この時ここに通っていたな」とか、「あの番組の公開収録に観に行ったな」っていうコメントを残してくれていたりすると、「そんなこともあったね」みたいな。だから、ひとつひとつは細かいですけど、思い出の数がすごい大量にあるなって。

■今回のベストアルバムや新曲があったことで、この20年をしっかりと振り返る時間ができたっていうのもありますか?

鍵本 それはありますね。37曲シングルを出しましたけど、その時その時に必死だったことだったり、いろんなことを思いながらリリースしてきたなって改めて感じます。

■20年間活動してきて、印象的だった変化や、大きい区切りとなった出来事もたくさんあると思います。今思いつくもので特に印象的だった出来事といえばなんですか?

谷内 活動していく中で、リリースとかライブとかの活動が厳しくなっていった時期とか、挫折があったりで、ブログを通じて自分たちの気持ちを吐き出したりしてファンに思いを伝えたり、歌詞の中に自分たちの思いを反映させるようになったんです。それを受けたファンがすごくプッシュしてくれて。それがまたCDリリースに繋がったり、イベントが増えていったりしたっていうのはすごく印象的ですね。

古屋 “Wanna Be With You”とかの時期って、ファンの人に引っ張ってもらっていたんですよ。逆にリードされちゃってた。(笑) おかしな話ですけど、でも引っ張ってくれる存在ができて、よりファンの人を大事にしたいとか、どうしたらその人たちの元気に繋げられるのかとか、そうやってファンのことを考えるようになったのが印象的な出来事かなと思います。初めはファンっていう存在ができて浮かれたりとかもしましたけど。10年経ったくらいの時に気持ちを改めてひとつにできたっていうのが、今のLeadに繋がっていて。だから、自分の力というよりも、本当にファンの人たちの力でここまで歩めてきたんだろうなって思います。

■“Wanna Be With You”あたりでファンの方々のパワーの大切さに気付かされた出来事があったんですか?

鍵本 “HURRICANE”の時ですね。

古屋 うん。それで本当に再起をかけようってなって、ノルマとかも決めたりして。配信だったんですけど、何位になったらCDでリリースができるみたいなのもあって。だから、悲壮感とかやばかったと思います。(笑) 「今これで決めないと次がない」みたいな。かなり追い込まれていたのを多分前面に出していて、プライドも捨てて。そこでかなりファンの人たちも熱くなってくれましたね。

鍵本 本当に“HURRICANE”の時期はいろんなことに気付かされた時期でしたね。それまではリリースができることが当たり前で、それとなくレコーディングして、それとなくリリースしてっていう感じがあったんですけど、それがどんどんできなくなっていって。1年に1枚シングル出せるか出せないかっていう時の“HURRICANE”だったんです。それまでは上手くいかないことを誰かのせいにしたりとかして、現実から目をそむけていたこともあったんですけど、“HURRICANE”の時に、「自分たちをこれまで助けてくれて、支えてくれていたのはファンの人たちだったんだ」って強く感じられたんです。応援してくれているありがたい方達なんだというのはあったんですが、この時期を境に、「大事な、特別な人たちなんだ」っていうマインドに変わりましたね。

■そのあたりから曲と向き合う姿勢も変わっていった?

鍵本 そうですね。もちろんデビュー当時から子供なりにも感謝っていう気持ちはあったんですけど、でもそれがより明確に、思いをちゃんと伝えたいっていう風になったのはここからでした。

■ちょうど“Wanna Be With You”や“HURRICANE”のあたりは、みなさんが楽曲制作にも携わり始める時期でもあったと思います。そういった意味ではその当時のことを振り返ってみてどういう思いがありますか?

谷内 “Wanna Be With You”のあたりのカップリング曲とかがそうですけど、夜な夜な頭を抱えながら、めっちゃ時間かけてやっていましたね。朝方まで。

■元々楽曲制作をする話はプロデューサーなどからの提案があって始めたことだったんですか?

谷内 自分たちからもありましたね。歌詞はこの辺から書き始めたんですけど、トラックとかは初めの方から自分たちでもやろうという気持ちはあって。今聴いたら聴けたものではないと思うんですけど。(笑)

古屋 デビュー当時に関わってくれていた人たちは、僕ら子供相手だったにも関わらず、「ちゃんと自分たちで作れるようになった方がいいよ」って言ってくれていたんですよ。

谷内 それでみんなでパソコンとか音楽制作ソフトを買ったもんね。ちゃんと収録されるようになったのは“Wanna Be With You”あたりからでしたけど。

鍵本 それこそ当時お世話になっていた振付師の方が、結構ヒップホップとかラップに精通している人で、そういう音楽観を見てすごいリスペクトしたっていうのも大きいですね。自分で生み出していけるカッコ良さっていうか。

■人生の3分の2がLeadだというお話もありましたけど、メンバーの関係性で言うと変化はありますか?

鍵本 基本は変わらないんですよね。もちろん時期ごとに、「ちょっと喋るのめんどくさいな」とか思った事はあるかもしれないですけど、基本は変わらないです。ぶつかったりしたことも、原因を覚えていないものも含めてちょこちょこはあったりしましたけど。

■解散の危機、みたいな大きなものとかは?

鍵本 ありましたね。「辞めるにしても辞め方があるでしょ!」って止めたりとかして。それこそ、宏宜の卒業のタイミングではいろいろと考えさせられましたね。「このまま続けていくべきなのか……」とか。

古屋 それまでずっと4人でやっていたからね。「3人になってもできるのか?」っていう。それほどリーダーに甘えていたんだなって思いました。

鍵本 その時は結構揺れましたね。でも残ったメンバーで活動はしないといけないわけで。気持ちが定まらなくてもやもやしたままやっている時期もあったし。

■「残った俺たちが頑張らないと!」みたいな気持ちにもなった?

鍵本 それはありました。宏宜が卒業することによってLeadが解散になるっていうのは絶対に起っちゃいけないことだったから。だから、宏宜と4人でやってきたLeadっていうものを守るためにも、自分たちが続けることに意味があると思っていました。

■卒業を経て、3人で前を向いてというか、区切りを付けて進もうと思えたタイミングもあったんですか?

古屋 “Upturn”の時は見た目的にも1人減っているわけだから、「パワーが半減しないように見せなきゃ」みたいな、抗うような気持ちでやっていましたね。あとは3人での初ステージの時があったんですけど、その時にすごいたくさんの人が観に来てくれて、すごく心強かったですね。でも「このままじゃだめだな」って思いました。

鍵本 思い知らされたよね、あの日は。ステージに出るまでめちゃくちゃ怖かったですもん。どれくらいの人が来てくれているのかっていうのも全然分からなかったので、「もしかして10人とか15人くらいだったり……」みたいなことを思ったりして。でもSEが鳴ってステージに立って、1曲目が流れ始めて前を見たら、ぶわーって後ろの方までいっぱいファンの人たちがいてくれて。「これはもうやんなきゃだめだな!」って。むしろ、「できるかな?」とか思っていた自分がめっちゃ恥ずかしかった。「背中を押してくれたみんながいるからこそ、やんなきゃな」って思えたのがその日でしたね。

■そして今回のアルバムには新曲“導標”が収録されています。タイトルはどのように決めたんですか?

谷内 曲のタイトルを決めるっていうよりは、アルバムのタイトルを決める時に出たアイデアですね。「道標」っていうワードが出てきて、「道」を「導」にしたらオリジナリティもあって、20周年に出すアルバムとしてはぴったりなんじゃないかというので付けました。

古屋 伸也がこの造語を出してくれて。「導」っていうのは僕たちもここ4、5年くらいは掲げていたんじゃないかな。なので、それを持ってくるっていうのはエモいなと。良いタイトルだなって思いますね。

鍵本 めっちゃ気に入っている造語なんですけど、ちょっと変換しづらいんですよね。(笑)

■20周年の新曲として、どう制作を進めていったんですか?

鍵本 最初、ベストアルバムを作ろうかみたいな話があった時に、「せっかくだし20周年の曲がないと!」みたいなところから書き始めたのが始まりです。せっかく初めてベストアルバムを出して、シングルの1曲目から37曲目までが入るんだったら、この38曲目にはちゃんと意味を持たせたいと思ったんです。Disc1の1曲目からDisc3の37曲目まで聴いてくれた人が、この最後の曲でLeadの20周年を感じられるものをちゃんと残したい。だからこそ、“真夏のMagic”から“Sonic Boom”までのタイトルを全部入れようって。

■シングル曲のタイトルを全曲入れるアイデアは初期の段階からあったんですか?

鍵本 だいぶ初期からありましたね。僕の中では、印象的なフレーズを全部入れていくか、タイトルを入れていくか、どっちかだなって思っていたんです。でも印象的な歌詞って、聴く人によって変わるよなって思って、それでタイトルにしようと。

■1曲という限られた歌詞の中に37ものタイトルを入れていくのは、分量としてはかなりのものだと思います。歌詞を作る作業は大変でしたか?

鍵本 大変でしたね。まとめるのが大変だなって。「デビュー当時のキラキラした感じってまさに“真夏のMagic”みたいな気分だったよな」とか、そういうのはいくらでも広げられるなと思ったんですけど、広げすぎると多分1曲で10分越えちゃうんですよ。(笑) これをちゃんとタイトに振り返ることもできて、かつ自分たちのこれからの気持ちもちゃんと描けるようにするには、この尺がちょうどよかったというか。これでしかなかったなと思いますね。

■歌詞に入れるのに苦労したタイトルってありましたか?

鍵本 “バージンブルー”と“ギラギラRomantic”と“Bumblebee”の3つが難しかったです。突拍子もなくて。(笑) その他はその時々の思い出や思いとタイトルがすごいリンクしているなと思ったんですけど、「突拍子もなく出てくるこの3つのワードはどうしよう……」みたいな。(笑) でも“バージンブルー”ってどれだけ調べてもちゃんとした意味が出てこなくて、意味わかんないなと思ったんですけど、当時大人にぶつけていた自分たちのわがままって、大人からしたら「意味わかんないよ」って思われていたんだろうなっていうところに繋げてみようとか。“Bumblebee”は伸也がラップで上手いこと書いてくれましたね。

谷内 “Bumblebee”の部分から最後の16小節が輝の中でしっくりきていないみたいな感じだったので、僕はそこを託されたような形で書いていきました。難しかったですけど、輝がめちゃくちゃいい流れで書いてくれていたので、それに乗っかるような形で楽しんで書きました。3パターンくらい作って、微調整して落としこんだ感じです。

鍵本 伸ちゃんが3パターン上げてくるとか、今までないですからね!だから、それくらいペンが進んだっていうことだと思うんですけど。(笑)

■曲名を入れるのもそんなに苦労せずに?

谷内 そうですね、結構楽しんで書けました。最後にこれからの思いを書いたりとか、最初の方にはデビューしたての時期のことが回想的な感じで入っていますけど、かなりエモいなと思いながら感慨深い気持ちで、振り返るような気持ちで書きましたね。

■途中でテンポが変わるのも含めて、軌跡を辿るような曲だなと感じました。

谷内 テンポチェンジってLeadの曲では初めてなんですよ。曲があがってきた時に面白いなと思いました。しかもテンポも20周年にかけて20上がるんです。それも面白いなって。

■そんな細かなところまで20周年ならではの仕掛けが潜んでいたんですね。テンポを変えるっていうアイデアはどの段階からあったんですか?

鍵本 最初に曲を作ろうって思い立った時からテンポチェンジはマストでしたね。最初、曲についてみんなで話し合っていて、「エモい感じでいきたいね」ってなったんですけど、ただのエモさだけじゃ面白くないなと。もっとLeadらしさみたいなものを入れたいとか、テンポを上げてビートのあるサウンドにしたいっていう思いもあったので、テンポアップはしたいなと思っていましたね。あと、ずっとバラード調でいくと、曲が8分とかになるので……。(笑) あと自分たちの心の変化も曲のテンポで表現できたらなっていう思いもありました。