Omoinotake VANITYMIX WEB LIMITED INTERVIEW

Omoinotake『EVERBLUE』

藤井怜央 / レオ(Vo&Key)、福島智朗 / エモアキ(Ba)、冨田洋之進 / ドラゲ(Dr)

アニメ『ブルーピリオド』OP曲でメジャーデビュー。原作とも重なるバンドの苦悩とは?

渋谷をはじめとしたストリートでライブを重ねて人気を集め、YouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」で披露したパフォーマンスも200万再生を超えるなど、ブレイク間近と言われているOmoinotakeが、満を持してのメジャーデビュー作『EVERBLUE』を完成させた。結成から9年、決して順風満帆ではなかった彼らだが、本作がオープニング曲に起用されたアニメ『ブルーピリオド』には、絵を描くことの楽しさに目覚めた主人公が、イチから美大を目指す中での苦悩が数多く描かれており、偶然か必然か彼らのバンド人生と重なる部分も少なくない。原作を読み込んで制作に臨んだという彼らは、この楽曲にどんな想いを込めたのか。レオ、エモアキ、ドラゲの3人に、これまでのバンドの歩みも交えながら語ってもらった。

■今作でメジャーデビューになりますが、ここまで振り返って順調でしたか?

レオ 順調ではなかったですね。(結成から)9年かかっているので。

エモアキ 20代全部使ったもんね。

■苦労した分、メジャーデビューに対しての想いも強いんじゃないですか?

レオ そうですね。自分たちとしては、インディーズ時代に納得いく作品をかなり残した上での、やっとメジャーのステージなので、これからさらにいい曲を作らなきゃなって、新たな想いがあります。

■そのメジャーデビュー作となる“EVERBLUE”は、アニメ『ブルーピリオド』のオープニング曲になりました。制作にあたって、どんなことを話し合われたんですか?

レオ まず3人で原作のマンガを読み込んだんですけど、自分たちと重なる部分がかなりあったのです。だから、方向性を合わせるために話し合いが必要だったかと言われたら、そんなことは全然なくて。それぞれグッときたポイントも、「やっぱりそこだよね」みたいな感じだったので、ひとつのところに向かって曲が作れたと思います。

■そのグッときたポイントというのは?

エモアキ 『ブルーピリオド』は天才じゃない八虎(主人公の矢口八虎)が、イチから絵を始める物語なんですけど、才能とのぶつかり合いとか、好きなことをやるっていうのは楽しいだけじゃないんだよっていう部分とか、そういうところは僕らも何かを創造する人間として、形は違えど通ずるものがたくさんあったんです。特に苦悩が描かれた部分は、グッとくるところが多かったですね。

ドラゲ 3人でグッときたポイントをシェアしたら、8〜9割はそういうシーンでしたね。この3人で9年やってきましたけど、やっぱりツラい時期とかも全員一緒なので。

■ツラかった時期はいつ頃だったんですか?

ドラゲ 僕はツラすぎて「バンドをやめたい」と言ったことがあるんですけど、その時は半年後くらいに初めての全国流通盤(2017年発表『So far』)のリリースが決まっていたのに、ライブをしてもしてもお客さんを呼べなくて、何も結果が出せていなくて。どうすればいいかさえも、まったく考えられなくなっていたんです。その時期は3人とも満場一致でツラかった時期だと思います。

エモアキ それで話し合って始めたのがストリートライブだったんです。

■それが上手くいって、Omoinotakeはファンを増やしてきたんですよね。

ドラゲ いきなり上手くいった感じではなかったんですけど、もうそれしかなかったので。それで、路上ではどういう曲をやるのがいいかとか、音は途切れさせない方がいいかもとか、考えなきゃいけないことがたくさん出てきて、バンドを辞めたいとか考える暇がなくなったんです。

レオ それまではがむしゃらに打ち込んでいたから、悩む暇もなかったんですけど、その時はいろんな迷いが生まれていたのかもしれないです。

■そういう原作と重なる経験もあって、曲はすんなりできあがったんですか?

エモアキ いや、お話をいただいてから、いろんなパターンで4〜5曲くらい出したので、この曲に決まるまではいろんな山がありましたね。決まってからは早かったですけど。

■その4〜5曲の候補から“EVERBLUE”に決まった理由はなんだったんですか?

レオ たぶんサウンド面だったのかなと思います。「疾走感」というキーワードをいただいて、それに沿って作っていたんですけど、わりと苦手なお題だったので。

■そんな印象はないですけど、そうなんですか?

レオ はい。ノリノリな感じは。(笑) でも「Omoinotakeがやる疾走感」にこだわりたかったので、どうすれば僕らなりの疾走感を出せるか、最初はうまくいかなかったんですけど、この曲でやっと掴んだ感じはありました。

■頭のピアノのメロディーが印象的ですけど、結構な苦労を経て生み出されたものだったんですか?

レオ そうですね。この曲の取っ掛かりはその部分だったので。本当に何個も何個も作って、なかなかみんなが「いい」と納得するものができなくて。いろんなフラストレーションが溜まってきたところで、それをピアノにぶつけて生まれたフレーズだったんです。そこから開けていった感じでした。

■そうだったんですね。でも、苦労して生まれたフレーズの方が、このアニメにはふさわしい気がします。

レオ まさにそうですね。(笑)

■僕は「理想や模倣などいらない」というフレーズが印象的だったんですけど、模倣と創造の境界線って難しいなと思うんです。そこについて考えていることはありますか?

エモアキ 僕はこの“EVERBLUE”を書いている時に、参考にしている歌詞を読み漁ったり、いろいろしていたんですけど、「もうダメだ!そんなんじゃねえ!」となったんですよ。衝動を自分の言葉で書かないと意味がないなと思って、このフレーズを入れたんです。今の自分の表現が自分はいちばん好きだし、「誰かみたいになりたい」とか、もういいかなと思っちゃって。それ以来、あまり他のものは参考にしないようにしているというか、今はそういうモードに入っています。

■曲を作っているレオさんはいかがですか?

レオ 難しいですね。やっぱり歴史あっての今の音楽なので。僕たちはブラックミュージックを大事にしているんですけど、最初からそうだったわけではないんです。2015年くらいに大きく舵切りをして音楽性を変えたんですけど、それまではブラックミュージックを全然聴いてなかったんですよ。そこから吸収してはアウトプットしてという時期を経て、それ以前にも好きだったものと、舵切りをしてから聴くようになった音楽をハイブリッドして、だんだん自分のものとして出せるようになって今があるんです。

■2015年くらいまでは、今と全然違う感じだったんですか?

レオ 今回の作品でもカバーしている銀杏BOYZさんとか、僕とエモアキはパンク、メロコア、エモみたいな音楽を中高生の頃は聴いていたんです。そこから一気に変えたんですよね。

■それは3人で話し合って決めたんですか?

レオ そうですね。当時はギターロック系のバンドと対バンすることが多かったんですけど、僕らの編成だと負けている感じがしていたんです。それで、この編成を活かせる音楽をやるべきなんじゃないかと話し合いました。

ドラゲ それまでは、もうちょっと縦ノリだったんですよね。4つ打ちとか16ビートとかよりも、8ビートとかリズムが軸にある曲が多くて。コードの鳴らし方も、もっとストレートでした。

■それはそれで聴いてみたいです。音楽性を変える時に揉めることはなかったんですか?

レオ 揉めるとかはなかったです。もともとドラゲ(冨田)はジャズとかも叩いていたので、演奏面はドラゲに引っ張ってもらって、僕とエモアキが必死に食らいつくみたいな感じでやっていました。

■ドラゲさんがビシバシ指導したんですか?

ドラゲ その頃のエモアキはマジで下手くそだったので。(笑)

エモアキ ははははは!(笑) いや、本当にそうですね。

ドラゲ それまでは、そういうところを曖昧にしていたんですよ。エモアキはシンプルなベースを弾くことが多かったんですけど、音楽性が変わってそうはいかなくなってきて、「まず(ピックで弾いていたのを)指弾きにしろ」って言いました。

■変な話、ベースを変えるという選択にはならなかったわけですよね?

ドラゲ そうですね。やっぱり、それ以前にすごくいい歌詞を書くので。

エモアキ 昔は曲も作っていたんですけど、そのタイミングで曲はレオが作るようになったんです。

■そんな転機があったんですね。YouTubeにアップされていた動画をいろいろ見てきたんですけど、“STAY GOLD”(1999年にHI-STANDARDが発表して大ヒットしたアルバム『MAKING THE ROAD』収録曲)のカバーとか、みなさんのルーツと今の音楽性が見事に発揮されていて最高だなと思ったんです。

エモアキ やった!

レオ ありがとうございます!

ドラゲ あのアレンジ、レオが作ったんですけど、素晴らしいですよね。

■今のお話を聞いて、あの“STAY GOLD”にたどり着いた理由がわかった気がしました。

レオ まさに、あのアレンジには端的に現れているかもしれないですね。

■他の収録曲についてもお聞きしたいんですけど、2曲目の“By My Side”はahamoとのコラボ企画で3月に配信された曲ですよね。ahamoのサイトに「かけがえのない青春時代を一緒に過ごした、大切な友達へ作った曲」というコメントが書かれていましたけど、どういうきっかけで作ったんですか?

エモアキ 僕とレオの中学の同級生が今大阪にいるんですけど、Omoinotakeを結成したての頃は、ツアーで大阪に行くたびに家に泊めてもらっていたんです。でもコロナ禍になって、なかなか会えなくなっちゃったので、離れていても繋がっていられるということを言いたいなと思って歌詞を書きました。

■コロナ禍があったからできた曲なんですね。

エモアキ そうですね。頻繁に会えていたらできていないと思うので。

■その彼はこの曲が自分のことだと知っているんですか?

エモアキ はい。2月にワンマンツアーで大阪に行った時に聴いてもらったんですけど、泣きながら聴いていました。(笑)